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コピーライターが原稿を書くということ

最近、取材原稿案件が多いです。毎日誰かの記事をチェックしてFBしているし、毎日なにかしらの原稿を書いてます。

前職は取材原稿を書くような案件を担当することなく卒業(中退)してしまったので、取材原稿をコンスタントに書くようになったのは、実はランニングホームランに入ってからです。なので、僕も入社して1〜2年くらいは、恩田さんやもっつさんに取材同席してもらったり、原稿チェックを挟んでから提出していました。

もともと筆がかなり遅い方なので、期日ギリギリまで手をつけないがちだし、「よし!書くぞ!」というモチベになるまでだいぶ時間がかかる方です。これを書いている今も、期日が迫った原稿を4本抱えています。困ったね。

対して、取材はかなり好きです。いろんな人のいろんな話を聞くのは楽しいし、最初は「偉そうに話せることなんてないんですけど」みたいなスタンスの方から「よくぞ聞いてくれた!」みたいな話を引き出せたりすると、他にはない達成感を味わえます。

飯田さんは、この逆らしい。取材は苦手、でも執筆するのは別に苦じゃない。なのでおかじが取材して、飯田さんが書く、という分担ができたらwin-winだね、という話をしたことがあります。

そこでふと思ったのが、コピーライターの取材原稿と、ライターの取材原稿の違いです。

僕は「ライター」と呼ばれることに若干抵抗感があります。取材原稿は書いてるけど、そんな本職のライターではないので畏れ多いなと思ってしまう。WEBライター的な人から「同業ですね」みたいなことを言われることもたまにあるんですが、SEOライティングなんて全くできないので、それもまた抵抗があります。

コピーライターの書く原稿と、ライターの書く原稿。きっと別に変わらないんだと思います。でも、やっぱり変わる頃ところもあるんじゃないかなと思います。

たとえば、なんとなく、ライターの書く原稿は読み手を強く意識していて、これが世の中でどう受け入れられるのか、そのためにどう書くべきなのか、そこに意識を集中させている気がします。ほんと、気がするだけです。ライターの知り合いそんなにいないので、サンプルも少ないし。

対してコピーライターの書く原稿は、話し手の魅力をいかに引き出して言葉にして伝えるか、そこに重きを置いてる気がします。コピーライティングの延長にあるような。ほんとにほんとに、気がするだけです。

まぁもちろん、ライターだって話し手の魅力を最大限引き出すようにしてると思うし、コピーライターだって読み手を意識してるだろうし、ライターだから、コピーライターだからなんて肩書きに意味がないことはわかってます。

でもなんとなく、それぞれの「物書きの矜持」みたいなものがあるのかなあ、と思ったりもするわけです。コピーライターと呼ばれることに抵抗があるライターはきっとたくさんいるだろうし。

そんなことを考えると、原稿の書き方とか、フィードバックの受け止め方も変わる気がしませんか?しないか。

とりとめもない内容ですみません。でも日記なので許してね。


※「インタビュイー」って言葉を聞くたびに、違和感に口がイーってなるので、話し手という表現で統一しています。

今週の質問:たぶん自分にしかない、「天気」への感覚

これは難問ですね……なんだろう…話がズレるかもしれないけど…

毎年、「これはもう夏が始まっただろう!」とおかじがジャッジした日は、「波乗りジョニー」を聴きながら家を出る、という習慣をかれこれ10年近く続けています。

その年の、夏が始まる、ピーカンの日。玄関を開けた瞬間に、あの軽快なピアノのイントロを流すことで、その日はなんか無敵になれるような気がするんです。

これ、けっこうオススメです。

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