【序文公開】トツカ・スペクタクル
大学に入るまで、「戸塚」という地名を知らなかった。
初めて知ったのは大学1年のとき。バンドサークルのとてもかわいい女の子が、どこに住んでいるか尋ねられて「横浜。っていうか戸塚」と答えた会話が聞こえ、どうやら横浜エリアに戸塚という地があるらしいと、強くインプットされたのだった。
聖地・戸塚――素朴でいて都会的な彼女の住む街は、いったいどんなところなのだろう。
そういえば、「戸塚ヨットスクール」の事件は聞いたことがある(※)。つまりヨコハマ近くのハーバーで、ヨットの練習ができるのだろう。そんな海風薫る、みなとみらいのような「戸塚」のイメージが私の中にできあがっていた。
それから15年。初めて戸塚の地を訪れた。戸塚は、山だった。
――私が生まれ育った群馬県南部の小さな町は、見渡す限りの田んぼが広がる真っ平らな土地だから、こんな山がちな場所での生活は想像できない。
私の地元で唯一の地形は、「サン・テン・サン」だった。
「注意! 桁下3・3m」と大きく書かれたゲートがある高架下道路、通称「3・3(サン・テン・サン)」。子供だと自転車で登りきれないほどの急勾配で、登りきれれば一人前。幼稚園のバスでそこを通るとき、引率の先生が「みなさーん、ジェットコースターですよー」とアナウンスしていたのを思い出す。
そんな小さな記憶を覚えているのも、3・3を除いて、視点が急に変化するようなスペクタクルを感じる場所は町のどこにもなかったからなのだろう。
翻って、ここは横浜市戸塚区。この郊外住宅地には、スペクタクルしかない。
階段と坂道ばかりで構成された世界。遠くには段々に重なる色とりどりの家々が見え、眼下には屋根が並び、振り返れば巨大な擁壁がそびえる。どこを見てもスケール感、シークエンス、意外性を感じることができる。
この地域で育った子供の空間体験は、よくイメージされる「つまらない郊外」ではなく、むしろ山間部の集落での空間体験に近いのではないだろうか。
なのに、ここに住まう人たちは、平然と、あたかも何もない土地に住んでいますよとでも言うように、定型化された戸建て住宅に住み、現代的な都市住民であるという顔をしているように見える。
消費社会のスペクタクルに目を奪われ続けてきた郊外の人々が、ダンジョンのような「遊び」に満ちた、足元のスペクタクルに目を向ける。それは自らの平坦な表情の内側に隠された、野生的でいびつな凹凸に向き合うことでもある。
戸塚ガールのロックなベースが聞こえてくるとき、飽きのこないRPGが幕を開ける。
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