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似ていることばたち

この世の中に「似ていることば」は、いくつもある。


「受け止める」と「受け入れる」
「優しさ」と「思いやり」
「人のため」と「人を思う」


意味が似ているものもあれば、音が似ているものもある。意味を間違えてしまえば、会話が成り立たなくなるものもあれば、一見会話が成り立っているように見えるものもある。

ただ、自分の中で線引きが大事ということを、友人と話していて改めて感じた。



私が保育を学んでいるときに気を付けていたのは、受け止めることと受け入れることの違い。

よく周りの人に言われたのは「子どもの気持ちを受け入れるなら、悪いことをした時も容認することになる」ということ。もちろん極端な話をしているという前提で話すことが多かったけれど、これは違う。

例えば、子どもが近くにいた友達におもちゃを取られてしまって、取った子を叩いてしまったとしたら。

これは、子ども同士でよくあるトラブル。

取った子:自分も使いたかった
叩いた子:取られて悲しかった

1つずつ挙げるとしたら、こんな答えが予想される。もちろん、もっとたくさんの予想が立てられるのだけど。

この時、子どもの思いを「受け入れる」としたら?もしくは「受け止める」としたら?自分はどういう対応をするだろう。

私はこの時、双方を「受け止める」選択していた。双方に思いがあるから。双方の想いを受け止めた上で、双方が納得できる対応を子ども同士で決める。



私の中で「受け入れる」は、対象を自分のものにすること。言い換えれば、自分が対象と同じになること。文字通り、自分の中に入れること。

対して「受け止める」は、対象を理解すること。つまり、自分の考えは違うけれど、認めること。


人それぞれ、受け入れることができる範囲は異なるからこそ、自分が受け入れられることとそうでないことの違いを知っておきたい。

私は過去に、何でも受け入れている時期があった。その頃は特に、新しいことをたくさん自分に入れたくて、多くの人に会っていた。

でも、私の中で本来受け入れられないものまで受け入れてしまって、自分が自分でなくなってしまった。自分を見失って、よくない意味で、人のためにしか生きられなかった。

結局、私の身体も頭も心も、それに耐えられなくなって、爆発してしまった。元通りにはもう戻れなかった。

「私」が散り散りになってしまって、探しに行ったり、かき集めようとしてみたけれど、どれが私のかけらなのか、判断できなくて、全てをくっつけることはできなかった。


今でもよく受け入れることと受け止めること、選択を間違えてしまうことがある。本来受け入れられないことを受け入れようとしてしまう。

そんな時は、私は一人で考える時間を作って「本当に受け入れる?」と自分に聞いてみる。自分の答えを待つ。

でもそれは、自分が違和感に気づけた時。違和感に気づけなかった時の方が、厄介。しばらく経ってから気づく時もあれば、気づけなくて、取り返しがつかなくなっていることもある。

私の場合は、一度爆発した経験があるからか、(今のところ)絶対に気付けないということにはなっていない。

自分の軸がしっかりしているというわけではなくて、自分を守るのに必死だから。自分とは違うものに敏感になったから。


話が少しずれてしまったのだけど、つまりは「受け入れる」のか「受け止める」のか、1つ1つ慎重になりたい。

自分の心地よさを大切にするために。


自分も、相手も、大切にするために。

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