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2022年と2023年のこと
あけましておめでとうございます
昨年はありがとうございました
2023年ももう1週間がすぎた。
note書き初めということで、
今年も振り返りと目標について、記録していく。
まずは、2022年のこと。
2022年は、本当に変化の多い1年だった。
昨年の今頃も振り返りと目標について書いたのだけど、
昨年は振り返りに、『好きなものを大切にできた』というようなことを書いていた。
それと同時に、『自己犠牲が多かった』とも。
だからこそ、自分を見失わないように、2022年は、
”模索”
これを大切にする年にすると決めた。
知らない部分、知っていたけど大切にしなかった部分、知っていて改めて認識した部分、新たに知ったけど認めたくなかった部分。
たくさんの自分のかけらを見ながら自分が納得する道を探して、怖がりながらも変化を続けていた1年。
気持ちも体も変化に追いつけなくて、体調を崩したことも多かったし、体調を崩すとわかっていながら止まらなかったこともあった。
後悔することも多くて、あの時の選択は正しかったのだろうかと、目の前のことを放っておいて考えに耽ることが、時間が経った今でもある。
ただ言えることは、2022年が終わって、本当によく生きていたと思う。
2022年を終えた自分に声をかけるとしたら。
「よく、死ななかったね。」
この言葉以外は思いつかないほどに、生死の境目にいたと思う。
自分が生きて1年を終えられた理由もわからなければ、なぜ死ななかったのか、それもわからない。
新年早々、何を物騒なと感じるかもしれないけれど、生きているのが不思議なほどに苦しんで、変化に飲み込まれていた。冗談でなく、今こうしてnoteを書いているのが夢のようで。
それくらい、2022年は人生において、重大な意味を持っている年になった。
そして、2023年。
自己犠牲が多かったと反省した昨年のはじめ。
その反省は活かせなかった1年だった。むしろ、よりひどく自己犠牲をしていたと思う。生死の境目を歩く程度には。
私は自己犠牲が悪いことだと思っていないし、私の性質上、切っても切り離せない要素だと思っている。だから、今回は自己犠牲については反省しない。
自己犠牲をしないというより、自分の感覚を守りたい。
私は結構、直感を大切にしてきたし、感覚的に動いていることも多い。だけどそれと同時に、思考することも楽しくて、好き。
今までの人生で感覚的に生きすぎてしまった反動か、思考が楽しくなってしまった2022年は、自分の感覚を二の次にして、思考を優先して、理屈を守ってしまったことが多かった。
けれどその思考は、そもそも自分の感覚とずれている部分もあった。
第一印象のような、直感や感覚を疎かにしていたら、自分の中でのバランス感覚が薄れてしまって、大切にしたいものが見えなくなってしまうことがあった。
2023年は、どちらも大切にするために、
”思考と感覚を両立する”
自分の中のテーマはこれにしたい。
言葉で表すとすごくシンプルなのだけど、私の中では結構ハードルが高いこと。
バランスを取ることが苦手で、どんなことでも悩みが多い。悩むことは好きだし、思考するのが好き。でもバランスを取ることに関しては、何度同じ悩みを繰り返したことか。
自分の中でバランスを取りたいと思っていても、昨年のように楽しくなってもう片方を疎かにしてしまうことも。
悩んだり思考したりするのが悪いとは思わないけれど、バランスの取り方を優先していけば、もう少し、少しだけ、シンプルに生きられる気がしていて。
私は心地よく生きることを大切にしていきたいのだけど、その中にはシンプルさもある。心地よさを大切にするために、心地よさの中の1つ1つの要素を大切にしていく。
そのための一歩として、思考と感覚を両立していくことを大切にする1年にできたらいいなと思っている。
今年も、このnoteをマイペースに続けていけたらなと思っているので、気が向いた時にでも読んでいただけたらと思います。
2023年もよろしくお願いします。
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