教員採用試験に合格するために、そして、優れた教師になるために、教師志望者の甘えの構造から、脱却しましょう!

今日は、教師について、かなり厳しめのことを書きますね!

教師志望の方々とお話していると気付くことがあります。

それは、「子どもに期待すること」と「教師が期待されること」の区別がついていない人が多いのです。

子どもに期待してもいいことを、そのまま教師としての自分に期待してもいいと思っていてはダメだということを理解していないのです。


例えば、

子どもには、

「結果ばかりを気にせず、過程(プロセス)を見守ってあげよう。」

という態度で接することが大切です。

でも、大人で職業人の教師に期待されるのは、

「プロとして、結果を出しなさいよ。過程がよくても結果が全然、出ないのでは、ダメじゃないか。」

です。

子どもには、

「教室は、間違えるところだから、間違えることは恥ずかしいことじゃない。どんどん発表しようね。」

と励まします。

でも、教師には、

「お前はプロなんだから、そもそも授業中に間違ったことを教えるなんて言語道断。プロ意識がなさすぎるんだよ。」

となります。

もうひとつ。

子どもには、

「勉強だけがすべてじゃないよ。自分の良いところを探して、それを伸ばそうね。」

と言える時もあるでしょう。

でも、教師には、

「勉強を教える身なのだから、学問もしっかりして、圧倒的な知識と教養を身に付けておきなさい。自分は勉強を教えるより部活動顧問の指導を中心になんて、ふざけるなよ!」

となりますよね。

教師志望者の全員とは言いませんが、かなりの割合の人たちが、自分が子どもに言うようなことを、自分自身にも言っているのです。

甘えている以外の何物でもありません。


あるとき、私が小学校教師志望者に、「小学校教師は、全教科を指導するわけだから、幅広い知識と教養をしっかりつけておきなさいよ。」と助言したら、その志望者は、「はい。でも、勉強だけが全てではないので、私は、自分の長所を伸ばして、しっかりと教育したいと思います。」と言いました。

私は、「???」でした。

その言葉って、例えば、あまり勉強ができない子を励ましたりするときに言う言葉ではないの?

その言葉を自分に言うわけ?

教師が教師である自分にこんなことを言い聞かせているの?

「勉強だけが全てではない」って確かにそうですが、それは、教師が自分自身に言っていい言葉ですか?

教師は「勉強」ができてなきゃダメなんですよ!

勉強ができていてはじめて、「勉強だけじゃないよ」とも言えるのですよ。

自分が勉強できていないのに、「勉強が全てじゃないから」といって自分の不勉強を正当化した上で、自分も教師になっていいんだなんて、どんな開き直りですか!

いい加減にしなさいと叱ってあげたくなります。

ここでいう「勉強」とは、教師として当然持っておくべき、知識と教養、学問的な資質ということです。

学校は学問だけをするところではないけれど、教師には学問が必要なのです。

指導は学問だけを指導するわけではないけれど、教師は学問をマスターしている必要があるのです。

こんな教師に限って、

「失敗したっていいじゃない。また、頑張ればいいんだから!」

などとも言いがちです。

ふざけんな!と怒鳴ってやりたくなります。

子どもに言うのなら構いませんが、プロとしての職業人である教師が、これを自分に言ってはいけません。

職業人が失敗していいのですか?

あなたが教育に失敗したら、子どもはどうするのですか?

子どもは、あなたの失敗に付き合わなければいけないのですか?

人間なら誰でも失敗することはあり得るというのは、統計学的な真実です。

でも、プロは、失敗してはいけないのです。

少なくとも失敗の可能性を前提にして、「失敗したっていいじゃない」と自分を甘やかすことは許されません。


これでも理解できないのなら、こんな例で考えてみてください。

あなたが病気で、大きな手術を受けるとします。

その手術の執刀医が、手術前に、「失敗したっていいじゃない。また、頑張ればいいんだから!!」と言っていたら、こんなことを言う医師を信頼しますか?

この医師に手術をしてもらいたいですか?

確かに手術は失敗することはあります。

そのリスクをあらかじめ患者に開示しておく必要もあります。

でも、それは、医師が「失敗したって、まあいいじゃん。あなたが死んでも、次の患者さんの時には頑張るから!」などと言うことを許すものではありません。

プロが決して口にしてはいけないことです。

教師志望者にはこのプロ意識が薄い場合が多いのです。


面接の練習をしていても、教師志望者はすぐに、

「失敗を気にせず、頑張っていきます!」

などと言います。

私はすぐに、「気にしろよ!」と叫びます(笑)。

また、もっとカッコつけて、

「100の失敗が1の成功を生むということを信じて、・・・」

などと言う教師志望者がいます。

何だって?

教師として100回の授業に失敗して、1回の授業に成功したら、褒めてもらいたいということ?

現実にはそういうことはありうるかもしれないけれど、それをあらかじめ胸を張って言うんじゃない!


話が長くなりましたが、要は、甘えているんです。

自分を子ども扱い、小学生扱いして欲しいんです。大人のプロの職業人の教師であるにもかかわらず、周囲から、「失敗してもいいんだよ」、「結果は出さなくてもいいんだよ」、「勉強なんてできなくてもいいんだよ」、「間違えてもいいんだよ」と言って欲しいのです。

残念ながら無理ですね。子どもに言ってあげたい言葉は、必ずしも大人には言うべきではありません。

特にプロの教師には。

そして、特に、教師志望者が自分自身にこれらの言葉を言い聞かせるなんて言語道断です!

甘えるんじゃない!


プロとは、自分に厳しく、自分の仕事に厳しく、自分の仕事の結果に責任を持つものです。

プロは失敗してはいけません。

プロは間違ってはいけません。

少なくとも、失敗や間違いをゼロにする最善の努力をしなければいけません。

プロの操縦士は、そう頻繁に飛行機を墜落させてはいけないのと同じです。

失敗するなんてありえない、間違いなんて許せないという心構えが必要です。


かなり厳しい話になりました。

全国の愛読者の皆さん、これで刺激になったでしょうか?

でも、今日書いたことは、私の本音でもあります。

プロとしての責任を忘れないように、教育に携わっていきたいものですね。


河野正夫
レトリカ教採学院

https://kyousaijuku.com


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