【重要!】面接演習を頑張っていても,面接の語りが上手にならないのはなぜなのか?その答えは「勘違い面接症候群」になっているからです!

本日は,奇数日なので,

【初歩から学ぶ教採面接の合格戦略】

です。

本日のテーマは,

【面接演習を頑張っていても,面接の語りが上手にならないのはなぜなのか?その答えは「勘違い面接症候群」になっているからです!】

です。


面接の練習に力を注いでいる人はたくさんいます。

真剣に面接の語りを向上させようと全力で学んでいる人はたくさんいます。

でも,中には,努力したわりには,面接の語りが上手くならない人も多くいるのも事実です。

なぜ,面接演習に努力を傾けているのに,面接の語りが上手くならないのでしょうか??

大きな理由は3つあります。

1.語りの戦略と語りのパターンとの違いが分かっていない。

2.事実の伝達とメッセージとの違いが分かっていない。

3.聞き手分析がまったくできていない。


1つ目の「語りの戦略と語りのパターンとの違いが分かっていない」に当てはまる人は,本当にたくさんいます。

どういうことかと言うと,合格するための語りの戦略と,そのための例(example)としての語りのパターンの違いが分かっていないため,戦略ではなく,決まり切ったパターンでしか話せなくなってしまっているということです。

例えば,「あなたの短所は何ですか?」という面接質問に答えるとします。

面接指導者は,ほぼ必ず,「短所をそのまま言っても,損するので,一見短所に見えても,長所にも感じられるようなものにしなさい。」とアドバイスします。

この助言は間違いではありません。

面接官に短所を聞かれて,例えば,

「はい。私の短所は気が短いところです。すぐにイライラしてしまいます。」

などと答えたのでは,まず採用してもらえませんよね。

だから,短所を答えながらも,長所にもなるようにと指導されます。そして,例えば,

「はい。瞬間的に答を出そうとし過ぎるところです。最近では,答を出すことを急がずに,ゆっくりと立ち止まって考えるようにしています。」

というような感じで話しなさいと言われます。

「気が短い」というよりは,「瞬間的に答を出そうとする」と言う方が,機敏で迅速だということも伝わるから良いという判断からのものです。

確かに正しい指導です。

でも,指導された側が,これを金科玉条のように信じて,次々と,

「私の短所は,一つのことに熱中し過ぎることです。ですので,もう少し全体を見ようとしています。」

「私の短所は,結論を急ぎ過ぎることです。ですので,・・・・・」

「私の短所は,人に合わせ過ぎることです。ですので,・・・・・」

のように,短所は,「~~~し過ぎることです。だから・・・しています。」というパターンで話さなければいけないという風にパターン化してしまうのです。

そして,教採受験者のほとんどが,このパターンで話してしまい,面接官は何十人,何百人の受験者から順番にこのパターンでの話を聞かされることになります。

そうなると,面接官としては,このパターンで話す人は,極めて平凡で退屈に感じてしまいます。

そして,合格点をもらえなくなります。

面接指導者の最初の助言は,「戦略」に基づくものでした。

でも,その「戦略」を説明するために面接指導者が使った「例文」をパターンとして覚えてしまい,教採受験者はそれで話さなければならないと錯覚してしまうのです。

戦略がパターンとなり,失敗する典型例です。

他にも,戦略がパターンとなって失敗する典型例はあります。

教採受験者の多くは,自分の経験を語って,すぐその後に,「これを活かして・・・」と続けます。

確かに,面接戦略としては,ある経験や長所を語って,その経験や長所が,教師としての指導に活かせるということを面接官に分かってもらう必要があります。

でも,それを直接的な言葉でぶっきらぼうに表現するということではありません。

例えば,書道と生け花が得意な人がいるとします。それならば,

「私は,小学校の頃から,15年以上も書道と生け花に打ち込んできました。大学時代には,学部の式典の大きな式次第などを筆で書いたり,大きなイベントで使う大型の生け花を飾るのも任せていただいたりしました。」

と言うだけで,充分に,教師になってからも活かせることは伝わります。

それなのに,多くの教採受験者は,わざわざ,上記の語りの後に,「これを活かして,私が赴任する学校の入学式や卒業式などでも・・・・・」と蛇足的に続けてしまいます。

これでは,好感や共感が台無しになります。

あなたの経験や長所が活かせるかどうかは,第一義的には,聞き手(面接官)が感じ取るものです。

それを,あなたが,これみよがしに,パターン化された表現で「これを活かして・・・」などと言う必要はないし,言えば言うだけ,好感度が落ちてしまいます。

戦略を単純にパターン化するのは,愚かなことです。

もともとの戦略は正しく有効であったとしても,愚かなパターン化で,戦略そのものが無力化されてしまうのです。

2つ目の「事実の伝達とメッセージの違いが分かっていない」とは,どういうことかというと,

面接をアンケートのようにとらえてしまっている。

ということです。

面接官は,例えば,「あなたの趣味は何ですか?」という質問をするときに,読書と答える人が何パーセント,スポーツと答える人が何パーセントというように,趣味についての統計を取っているわけではありません。

さらに言えば,面接官は,あなたの趣味が何であろうが,ほぼ興味はありません。

面接官が聞きたいのは,あなたが趣味というテーマで話すときに,どんな切り口で,どんな人間的魅力を見せてくれるかというその一点です。

ですから,事実だけを答えるというのは,面接官の期待を裏切り,面接官を失望させ,不合格へ一直線ということになります。

合格を勝ち取るためには,趣味を語る中で,あなたの人間的魅力,あなたの資質や能力を感じてもらう必要があるのです。

こう言うと,愚か者は,すぐにパターン化して,「事実+こじつけ」を行います。

極端な例で言うと,

私の趣味は読書です。これを活かして,子供たちの読書指導に全力を尽くします。

のような,何をするのか具体的には,さっぱりわからないことを言ってしまいます。

「趣味の読書を活かして」なんて,よほどのストーリーや切り口がないと,聞き手の共感や好感を勝ち取る語りにはなりません。

それなのに,「読書指導に全力を尽くす」なんて,そのまんまというか,切り口がないというか,もうどうしようもない愚か者のレベルですね。

また,次のような例もあります。

面接官から,「あなたが,これまで一番感動したことは何ですか?」と聞かれたとします。

すると,愚か者は,

教育実習の最後の日に,生徒たちが一枚の色紙をくれて,そこには生徒一人一人がメッセージを・・・・・

などと言い出します。

確かに,教育実習最終日の感動は本物でしょう。

でも,その感動はあなたの心の中にしかありません。それを面接官に感じてもらうことは至難の業です。

さらに言えば,教育実習最終日の感動なんて,教育実習をした人なら,ほぼ全員が感じる感動です。

つまりインフレーション気味に,教師志望者なら誰でも感じた平凡で,語りとしては退屈なエピソードなのです。

しかし,私がこう書くと,「いや,でも,私は本当に感動した。あの感動は最高の感動だった。」と言い張りたい人もいるでしょう。

私は,教育実習最終日の感動が本物ではないと言っているのではありません。

本気で感動した,素敵な瞬間だったのでしょう。それは100%認めます。

でも,その感動がそのまま聞き手には伝わらないという現実を知ってください。

こう考えてみてください。

例えば,あなたが中学校教師とします。

ある中学生が失恋したとします。その中学生は悲しんでいます。

あなたはどう思うでしょうか。

たぶんあなたは,まだ中学生なんだからこれからいろんな出逢いも恋愛もあるから,いま,そんなに悲しむことはない。

今の悲しみも分からないでもないが,これからもいろいろと経験すればいい,と思うでしょう。

もちろん,生徒に対しては,共感的態度で接する必要はありますが,あなたの本心は,上に書いた程度でしょう。

面接官があなたの教育実習最終日の感動を聞いた時も同じです。

面接官の眼からみれば,その感動も分からないでもないが,教師になったら,それ以上の素晴らしい感動もたくさんあるし,2,3週間の教育実習の感動だけでそんなに感動することもないんじゃないの,という感じで見られるかもしれません。

何が言いたいかというと,あなたが感動したという事実は,そのまま言葉にしても,相手には伝わらないということです。

事実としての感動を,事実として伝えようとする人は,面接の語りという観点から言えば,愚か者です。

そして,こういう人が,面接で不合格になってしまうのですよね。

そんなものより,一番感動したことを教育実習で書くにしても,例えば,

黒板に書くひとつのイラストや地図が,生徒の理解を劇的に高めるということに感動しました。これまで授業内容にあまり興味を持っていなかった生徒たちが,私がXXXXXのイラスト(地図)を書いたとたんに,質問や発言をするようになりました。生徒の好奇心を刺激する方法は必ずあるんだということに自分ながら感動しました。

という風に語れば,面接官も,「なるほどね。そうだよね!」と共感や好感を感じてくれるでしょう。

教育実習最終日の感動なんて,あなた一人の個人的な感動です。

そんな個人的な感動には,聞き手の心を動かす力はありません。

失恋の悲しみや,グルメをして美味しかったというのと同程度の個人的な感動だからです。

でも,上記のイラストや地図の語りでは,感動は個人的なものではありません。

確かに,生徒の好奇心を刺激する方法を発見したのは,この語り手個人ですが,この感動は,多くの人にシェアできます。

つまり,知的に共有できる感動なのです。

面接で面接官の共感や好感を勝ち取るためには,共有できる感動を語る必要があります。

自分だけの個人的な感動を語るだけでは,聞き手の心は動かせません。

ここのところが分かっている人が面接で合格を勝ち取り,分かっていない人が面接で不合格になってしまうのです。

これが,「事実の伝達とメッセージの違いが分かっていない」ということなのです。

事実とは,自分が経験したことそのもの,自分が感じたことそのものです。

つまりは,個人的なものです。個人的なことをいくら言ってもダメです。

例えば,ある人が,「私の身長は165センチです。。」と言っても,聞き手は,「あ,そう。」くらいのものです。

でも,

「私の身長は165センチですが,私がやっているXXXという武道では,私の身長でも,身長が180センチ以上の対戦相手に勝ち続けることもできます。まさに柔よく剛を制すの極意を身に付ければ・・・・・」

と語れば,事実や感動を聞き手と共有することができます。

聞き手が求めているのは,感動の共有,知的な感動の共有なのです。

だから,事実の伝達ではなく,メッセージの伝達でなければダメなのです。

メッセージとは,相手の心に何かを共有させる営みです。

最も単純な例で言えば,「気温が35度ある」というのは事実です。

でも,暑い部屋にいるときに,「今日は,暑いですねえ。」と言えば,冷房を付けてくれるでしょう。

これが事実の共有,感動(感じ方)の共有です。

面接の語りで言えば,趣味を聞かれて,「私の趣味は読書です。これまでの人生で500冊くらい読みました。」では,単なる個人的な事実です。

でも,

私の趣味は読書ですが,この趣味が高じてしまって,本の中で出会った登場人物の数の方が,実際に出逢った人の数より多くなってしまった気がします。私が読んだ本の中で出会った登場人物を数えてみたら,3,000人を超えていました。

というようにすると,これは事実の共有と言うよりも,読書の醍醐味という共有できる事実や感動がメッセージとして伝わります。

どうでしょうか。

事実の伝達とメッセージの違いが分かったでしょうか。


3つ目の「聞き手分析がまったくできていない」について考えていきましょう。

一般に,誰かに何かを伝えて,聞き手に話し手が望んでいる方向に動いてもらおうとするときは,「目的意識」と「相手意識」が必要です。

「目的意識」とは,何のために話すのか,何をしてもらいたくて伝えるのかという意識です。

「相手意識」とは,伝える相手は誰なのか,伝える相手はどんな感じ方をする人なのかを予想することです。

この相手意識に関わる話です。

教員採用試験の面接での「相手」とは,もちろん,面接官です。

面接官は,通常,教育委員会の幹部,校長・教頭(経験者),民間人(会社の経営者,弁護士など)から構成されています。

年齢から言えば,40歳代から50歳代といったところでしょう。

ほとんどの面接官が,子供を持ち,子供を育てた経験があるでしょう。

教採の面接官は,ほとんどが,管理職や経営者なので,自分の部下を持ち,相当程度,責任ある仕事をしています。

こんな人たちが,あなたが話をする「相手」,すなわち,「聞き手」です。

この聞き手たちのメンタリティをよく考えて語らないと,とんでもないことになります。

典型的な例をあげてみましょう。

例えば,面接官から,「あなたは,将来,教頭や校長になりたいですか?」と聞かれたとします。

もちろん,なりたい人も,あまりなりたくない人もいるでしょう。

でも,ここで重要なのは,この質問はアンケートではないということです。

あなたの本当の気持ちを単なる事実として伝えることにまったく意味はありません。

最悪の回答は,おそらく,

教頭や校長にはなりたくありません。私は,子供たちと直接向き合い,子供たちに寄り添う教育をしたいので,子供たちから離れてしまう教頭や校長には,あまり興味はありません。

でしょう。こんな回答をすると,面接官の印象を大きく害してしまいますよ。

なぜかは,もう分かりますよね。

面接官の少なくとも一人は,教頭・校長,あるいは,その経験者です。

先程の回答では,その面接官に向かって,あたかも「お前の仕事みたいに,子供と向き合わないような仕事はしたくない。お前がいまやっている教頭や校長の仕事なんかやりたくもない。」と言わんばかりのことを言うことになります。

これでは,その面接官を敵に回してしまいます。

でも,もし,次のように言ったらどうでしょうか。

はい。将来,私に能力と資質があれば挑戦させていただくこともあるかと思います。学校での教育には,学級担任や教科担当といった子供を教室で直接,指導するという仕事と,教頭先生や校長先生のように,管理職として,学校全体をまとめ,大所高所から子供のための学校運営をされるという仕事があると思っています。私は,現在は,子供を直接,指導する教諭としての仕事に大きな魅力を感じていますが,その経験を長年積み上げ,学校全体をまとめることで,子供たちに貢献できる能力と資質が私自身に付いたことが実感できた時には,教頭や校長といった管理職の仕事にもチャレンジさせていただきたいと思います。

これなら,聞き手の教頭・校長の面接官の自尊心をくすぐります。

つまり,教頭・校長は,大所高所から,子供のために,学校運営をしているということをきちんと指摘することで,面接官に「そうなんだよ。分かってくれているね。私だって子供のことを第一に考えて校長の仕事をしているんだ!」と共感・好感を持ってもらえるのです。

相手を爽やかに持ち上げながらも,自分は謙虚に,そして,校長や教頭になってもいいくらいの能力と資質が付いたらチャレンジさせていただくという表現であれば,相手を穏やかに褒め称える効果があります。

これが聞き手分析です。

聞き手を分析せずに,ただ単に,「私は教頭や校長には興味ありません。」と言うだけでは,面接官を敵に回すだけです。

また,次のような質問に対する回答も典型例と言えるでしょう。

前年に教採で不合格になり,今年,教採に再チャレンジする受験者に対して,面接官は,時々,次のような質問をします。

昨年は,どうして不合格になったのだと思いますか?

このときに,例えば,次のように回答したのでは,とんでもないことになります。

はい。昨年は,あまり勉強する時間がなく,また,勉強のコツもよく理解できていませんでした。今年は,しっかり時間を取り,参考書や問題集をそろえて,過去問にも取り組み,筆記試験にも自信を持って臨んでいます。

ダメダメですよね。

理由は明白です。

面接官の視点から言えば,教員採用試験は,「勉強したら受かる」試験ではありません。

教員採用試験とは,「教師になって子供を教育すると言う仕事にふさわしい人を選ぶ」試験です。

ですから,勉強時間がどうのこうのとか,問題集を買ったとか,過去問をやったとかは,面接官にはまったく響きません。

確かに,教員採用試験の受験者の立場から言えば,勉強時間の確保や,良い問題集の入手,過去問の精査は重要です。

でも,それは,受験者の視点です。

面接官(採用側)の視点は,まったく異なります。

面接官の視点は,教師にふさわしい技量・力量・人間的魅力を持った人を選ぶというのが,教員採用試験なのです。

自分が受験勉強中に感じたことをそのまま言ってもダメです。

どうすれば合格するかは受験者の視点です。

採用側の視点は,どんな人が良い教師になれるか,なのですから。

ですから,面接官に受け入れてもらえる回答は,例えば,

昨年は,教育への想いが不足していたのだと思います。昨年は,教師になりたいという想いばかりが先行してしまい,子供たちのための教育や指導という観点が抜けていたことを反省しています。教師になるというだけではなく,人としての教師が,人としての生徒を育むのだという意識に欠けていたように思います。今年は,一人の教師として,一人の人間として,子供たちを育み,成長させることのできる指導を第一に考えて,教師の仕事をしていくという想いを強めた上で,教員採用試験を受験いたしました。

のようにするとどうでしょうか。

ちょっと抽象的ではありますが,面接官が求めている人材に近づこうとしている情熱が伝わるはずです。


「面接演習を頑張っているけれども,面接の語りが上手くならない理由」をもう一度,まとめておきましょう。

3つの理由は,以下の通りでした。

1.語りの戦略と語りのパターンの違いが分かっていない。

2.事実の伝達とメッセージの違いが分かっていない。

3.聞き手分析がまったくできていない。

何度も何度も面接で不合格になる人,そして,どんなに面接の練習をしてもちっとも面接の語りが上手くならない人というのは,

一. どこかで聞きかじった面接のテクニックを,お決まりのパターンとして覚えて,そのパターンでしか話せなくなっている。

二. 何かを聞かれたら,事実だけを答えればよいと勘違いしていて,相手に伝えたい想いやメッセージがなにもない回答しかできない。

三. 聞き手である面接官の心を予想することができず,ひとりよがりな話しかできない。

この3種類の人に共通する困ったことは,皆さん,自分の答えにある程度,自信があるのです。

つまり,面接対策の先生に聞いたから間違いないはずだとか,事実をありのままに答えているのだからそれでいいはずだとか,自分が本当に思っていることだからそのまま伝えればいいとか,本気で自信を持って思っているのです。

私は,こんな人たちを,「勘違い面接症候群」と読んでいます。

こういう人たちは,面接の語りが上手下手というより,「勘違い」をしているのです。

そして,その「勘違い」のせいで,面接で不合格になってしまうのです。

さらに言えば,ど素人の面接指導者すらも,こういった「勘違い」を指導しているので,困ったものです。

そんな指導者に指導してもらっていては,いつまで経っても,合格することはできません。

皆さん,「勘違い面接症候群」にならないようにしましょう!


河野正夫

レトリカ教採学院

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