ご機嫌でいること

昨日ストーリーで
「レッスンってテニス教えるけど、それ以上に良いエネルギーを提供する時間やと思うから、だからまず自分で自分のご機嫌とらなあかん」って
最近よく思ってることを言葉にしてみた。
そしたら思った以上に共感してくれる人が多くて、
同時にそれが難しいよなっていうコメントも何人かくれた。

私も今まで頭ではわかってるけど実際に自分のご機嫌とるのって難しくて
なかなかできてなかった。最近もいつもできてるわけじゃなくて、波動低いままレッスン始めてしまう日もある。
でも間違いなく以前よりはうまくなってきたと思う。

そもそも連日(たまにであればそんな氣分の時もある!)自分のご機嫌も取れない程疲れているのであれば、
それはやりたくないことをやってるか、
やりすぎなんやと思う。

超当たり前のことやけど、現代社会で生きるにあたって「当たり前」の基準がおかしくなっていて、無理している状態こそが多くの人にとっての当たり前になっていると思う。
でも無理している状態で仕事する=誰かに何かを提供する って
めっちゃお腹空いてるのに何も食べれずに勉強し続けるのと同じで、
まぁ集中できないし、イライラするし、その状態で何をしても良いエネルギーが流れる訳が無い。
でも、例えばお気に入りの場所で自分の食べたい物をゆっくり食べられたら
ご機嫌で良いエネルギー状態になって、その後なんとなく誰にでも優しくなれたりするように、
自分のご機嫌を取れたら同じレッスンするのでもより良い雰囲気で教えられて、そしたら相手もきっとその良いエネルギーを(も)受け取ってくれる。
気付いてなくても間違いなく受け取ってる。

テニスを教えてるけど、そもそもテニスを習いにくるのって
テニスが好きで、うまくなったら余計に楽しい
→生活の中で楽しい時間が増える
→人生がよりハッピーになる からであって、
テニスはよりハッピーになるための一つの手段。
つまり、うまくなる過程もうまくなるっていう結果も両方だいじ。
なんなら過程の方が大事かもしれない。
そう思うと教える技術ももちろん大事やけど、それと同じかそれ以上に
普段のレッスンの時間のエネルギーの高さがすごく大事だと私は思ってる。

じゃあなんで最近は以前よりご機嫌でいられるようになったのか。
それは 休む=サボってる っていう感覚が減ったから。
むしろ 休む=自分がご機嫌でいるための努力 って思える様になった。
努力の方法としては、自分の心身の声を聞いて必要な時には勇気を出してNoと言う。自分の選択に責任を持つ。

そしてそれが少しづつできるようになったのは周りのおかげ。
今年になって都市を変えてオーストラリア人の中で働く様になって、
体調悪かったら1週間くらい余裕で休むし、
でも周りのコーチもクライアントも自分たちも体調悪い時は休むから
嫌な顔する人がいないし、当たり前に出来る限りサポートし合う。
でもそれも無理してするのはなく、
自分ができることはするけどできないことはNoを遠慮なく言う。
私がクセでNoをいう時についつい ごめん って言うと、
謝ることなんもないから謝らんでいい。休憩も超大事な仕事やで。
って言われる。
もちろん仕事じゃなく遊びや練習の約束でも、今日はやっぱりやめとくわ!ってみんな全然気にせず言う。

それが今の私の周りの「当たり前」だからこそ、私も断れるようになってきた。

余談やけど断るという選択をしやすくしてくれてるのは、
いつも新しいクライアントのレッスンを確定させる前に聞いてくれる、
「You don't have to do it if you don't want to, I'm asking if you want to do this(やりたくなかったらやらんでいいんやで。このレッスン受けたい?)」
というやりとり。
文章にすると圧のある会話に捉えられなくもないけど笑、圧0。
やりたいんやったらこのレッスン渡すけどどう?って感じて聞いてくれる。

自分で受けたいと言って始めるレッスンやからこそ、
より良いレッスンにしたいし喜んでもらいたい。
だからこそ自分で自分の機嫌をとる。
そしてやる時は全力で向き合う。

これをヘッドコーチである彼自身が体現して見せてくれて、
チーム全員にこういう働き方をさせてくれてる。
ほんまにすごい人間力やし、最高の環境にいさせてもらってるなって心の底から思ってる。
なんかルークの話になって終わった!笑


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