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【感想】「くるまの娘」(著:宇佐見りん)

 宇佐見りん第3作。「推し、燃ゆ」⇒「かか」⇒本作の順番で自分は読みました。

17歳のかんこたち一家は、久しぶりの車中泊の旅をする。思い出の景色が、家族のままならなさの根源にあるものを引きずりだす。50万部突破の『推し、燃ゆ』に続く奇跡とも呼ぶべき傑作。

河出書房HPより引用

感想

情景描写が美しい

 自分は文学的素養があるわけではないので、専門的・技術的なことは全く詳しくないですが、それでも、本作の文章表現、特に情景描写の言語表現の美しさは、読んでいて気持ちよかったし、なかなかほかの作品にはない点だと思いました。例えば自分が好きなのは、

(略)かんこは洗面所の鏡の前に立った。白い陶器の洗面台は、栓の近くが黄土色によごれてひび入っている。窓があけはなしてあった。庭木が二階の窓にとどくほど伸び、葉はほとんど窓に触れていた。風があるたび、枝葉がかかえていた淡い黄色の陽光が揺れて、洗面所いっぱいに充ちた。

単行本「くるまの娘」P.63より引用

という詩的な一節。作品全体を通してですが、短文が多いことで文章全体にリズムがあり、表現の美しさと相まって本作特有の文章になっている気がします。

苦しみの根源のモチーフとしての光

 本作は上に引用したような光の描写・表現がたびたび登場しますが、それは単なる情景のみならず、人間の中で連鎖される苦しみの根源の象徴としても用いられています。例えば帯でも引用されている以下の一節。

人が与え、与えられる苦しみをたどっていくと、どうしようもなかったことばかりだと気づく瞬間がある。すべての暴力は人からわきおこるものではなかった。天からの日が地に注ぎあらゆるものの源となるように、天から降ってきた暴力は血をめぐり受け継がれ続けるのだ。苦しみは天から降る光のせいだった。

単行本「くるまの娘」P.140より引用

 そして、ここまで読めば、冒頭の書き出しは、かんこが身を置いている状況を説明したものであることが分かってくるという、表現の美しさと文章上の仕掛けが両立しています。ちなみに、本作最後の一文も光の表現です。

 かんこは光を背負っている。背中をまるめた自分の突き出た背骨に、光と熱が集まるのを感じている。明るい血の色をした光だった。(略)細く入り込んできた風に鼻をうごめかし、左頬をかるく冷まされながら、かんこは自分がだれかを背負っている気がした。その息が肩に触れていたように思った。

単行本「くるまの娘」P.4より引用

ままならない家族関係モノというテーマ

 ところで、本作は家族に対して暴言・暴力を浴びせる父、病気の後遺症で左半身が麻痺していて、それに起因してメンタルを病んでしまい時々かんしゃくを起こす母、結婚して家を出て家族と距離を置く兄、物事を正面から受け止めることを避け常に笑っている弟と、主人公かんこは結構大変な家庭環境。それでも、かんこは父母を見捨てることなく、むしろ親から愛されなかった記憶はない(P.109)とし、このどうしようもない状況のまま家の者を置き去りにすることが痛い(P.123)と感じていて、むしろ父母と一緒に生活することを積極的に選択しているんですよね。それは、かんこにとって両親が、「わたしの、親であり子どもなのだ」(P.123)から、「背負って、ともに地獄を抜け出したかった」(P.123)ともがいているという。
 最近、こういうままならない家族関係、特に「毒親に虐げられる純粋な子ども」みたいなポジションの登場人物が出てくる小説って、ブームかっていうくらい多くあるのだけど、どれも大体、家庭外の第三者である大人が出てきて、その大人に毒親から救ってもらうみたいな話ばかりなんですよね。そっちの方が物語の山場とオチがつけやすいし、読み手にとってカタルシスがあるんだろうけど、そういう話は個人的にはあまり好みじゃなくて辟易していたところなので、主人公かんこがこじれた家族関係をなんとか過去のように戻したいともがく本作は、他作品と似たテーマを扱いつつも、話のアプローチが全然違ってよかったです(もちろん、現実世界としては、第三者や公的機関に助けを求めた方がよいことも多いと思うが。)。
 加えて、(他作品の不満になってしまうけど、)よくある毒親ものは、その暴力性の原因についてほとんど掘り下げられないですが、本作では、上に挙げたように日の光を暴力の源の象徴とし、意識的・無意識的な暴力・加害が連鎖していってしまうものと説明しています。作中、日の光が当たるときに父の影が大きくなり、雨のときは父そのものの大きさに戻る表現がありますが(P.111)、それまでに作中で繰り返される光の描写を汲みつつ、父がそれまでに抱えてきた(広い意味での)暴力の背景、それを受けて、暴力性を引き継いでしまった父の様子が描写されている、個人的に一番印象に残るシーンです(そして、上に挙げた書き出しにあるように、かんこも光を背負っている。)。
 「推し、燃ゆ」のときも思いましたが、宇佐見りんさんの作品って、表現一つ一つにそれぞれちゃんと意味があって、しかもそれを文章的にも美しく描写される、本当にすごい作家だと改めて実感しました。

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