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上流階級の「諸行無常」なんてコメディー 『平家物語』

「歴史は繰り返す、1度目は悲劇、2度目は喜劇として」と誰かが言った。『平家物語』が生まれ語られ始めた当時の人々には、涙むせぶ、そんな物語なのだったのだろうか。

少なくとも、歴史上の没落例を数多く知る今の人々が、平家が栄え衰える事に涙を誘われる事はないのではないか。これは、平家の人々が海に身を投げるシーンで涙を流さないという事ではない。単に情動的なショックによって感情を動かされる事はありうる。そうではなく、物語全体を悲嘆の中で受け止めるという事はありえないだろう、という事だ。

『平家物語』は、1192(1185でもよいが)年の源氏による幕府成立の前の時代、平家が天皇を自分の血筋から出すまでに栄えたが、源氏によって討たれ、滅びていく過程を描いた物語である。

冒頭部分は高校の教科書にも掲載されたりして、有名だ。「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょーむじょうのひびきあり」で始まる冒頭部分を私は覚えさせられ、今でもなんとなく言える。

しかし古典の常であろうが、タイトルは知ってあらすじも何となく知っていても、本文を読んだ事はこれまでなかった。
「平清盛はんが活躍して、子どもたちが海にドボン。栄えた人も長くはもたないね。悲しいね。チーン」という程度の理解だった。

本文を読みながら感じたのは「単なる支配者の交代劇」という感想だ。
この感覚はなんだろうと振り返ると、本文の書きぶり(語られぶり?)が、「おまえら栄えた平家が源氏によって滅ぼされるぞ。泣け、泣くのだ。すべては移ろいゆく。泣け」という、煽りまくる文章に由来したものだと思う。

『平家物語』では、当然であるが上流階級の、今でも名前の残る人々が主役である。民衆は、平家の人々が陸から海に逃げようとする舟についでに乗り込もうとすると、舟をつかんだ手を切られ蹴落とされる、うぞーむぞーの扱いだ。

これ、普通の人々こそ諸行無常やん(結論)

栄華に至るでもなく、生まれ死んでいく人々。戦乱を生き残った平清盛の娘が、「私は六道(仏教観における天国といろんな地獄)を体験しましたわ」なんて言うけれど、地獄しかない人々とどちらが良いのか悪いのか。

鎌倉時代ぐらいに、『平家物語』を聞いた方々へ聞いてみたい。
「あなた方の生活の方が大変に見えますが、泣けますか?」
『平家物語』を語った琵琶法師は民衆の間にあったという理解なのだが、生活に余裕のある人々の余興だったのかしらん。

本の紹介。
むかしむかし、全文を古文で読んだろ!(古文で『平家物語』を読んだオレすごいやろ!ドヤ!)と思った事があった。まぁ、読めなかったが。
今回読んだ本は、古文+現代文(抄訳)というヌルヌル構成で、とても読みやすかった。気になる部分は、古文を参照でき、「平家物語?ああ、古文で読みましたよ」と一応ドヤ顔できるはず。


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