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疲れ果てた先生がいなくなる日

Withコロナの今を先取りしているかのような写真だが、これはもう何年も前に、アメリカの小学校で、イスラエル人の友人と私が教室の机をアルコール消毒しているところだ。

日本では雑巾での水拭きが普通だった当時は、「え?机をアルコールで拭くなんて!」とびっくりしたが、小学校の机はとても汚れていて、毎日拭いてもペーパーが真っ黒になったものだ。

そもそもアメリカの学校には、生徒が掃除をするという習慣はない。娘の学校では、太ったメキシコ人のおばちゃんが、日がな一日モップを持って、あちこちお掃除してくれていたが、教室内のこまごました掃除は、保護者のボランティアに任されていた。

それから、プリント作成や配布などもボランティアの仕事で、これは学校のコピー室で、私が教材をコピーしているところだ。娘の学校は主にiPadを使って教えていたとは言え、それでもプリント作成は時間のかかる仕事だった。

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娘の先生は、私たちボランティアの保護者に向かって「子供たちにプリントを配ってちょうだいね。私は教えるプロでセクレタリーじゃないから。」と、お茶目に冗談っぽく、でも本気で情け容赦なく(笑)たくさんの仕事を頼んできた。

アメリカの学校では親のボランティア参加がとても多くて、先生もある程度親に任せて、先生と親とで学校を運営しているといった感じの健全な関係であったように思う。

日本に帰ってきてから、学校の先生方の仕事があまりにも激務で、しかも学校が信じられないくらいアナログであることにも驚いた。例えば学校と家庭との連絡一つとっても、アメリカではメールでやりとりしていたのに、日本ではなぜメールでできないのかととても不思議だったが、のちに先生方が一人一台使えるパソコンもなければ、アカウントもないと聞いて仰天した。

連絡帳を手書きで書くだけでも、先生にとっては大変な手間だろう。親の方からしても、一つの事案が決着するまで何往復も手書きでやりとりしなければいけないのは、結構な負担だ。クラス全体に対して、個別の連絡を毎日毎日手書きで書き続けるなんて非効率な手間は、一般企業では考えられないことだが、教育現場はどうしてこんなに一般社会と乖離しているのだろうか。

連絡帳を書きながら、もし娘のアメリカの先生が同じことをやれと言われたら、「私は教えるプロでセクレタリーじゃないのよ!」と激怒するに違いないと、何度思ったことだろう。

今、先生が疲弊していると言われているが、こうした授業以外の業務が多すぎるからなのではないだろうか?各種行事に部活など、海外の学校と比べると先生の仕事が多すぎることに加えて、致命的なのが学校がアナログであることだ。

そうした先生の業務を減らすには、

1,【とにかくデジタル化】LMS(Leaning Management System)を使っての授業は、最初の導入時は大変でも、その後の授業は格段に楽になるし、授業以外でも生徒の学習管理などもかなり省力化できる。もちろん連絡事項などもすべてメールやLMS上でやりとりが可能だ。

2,【業務のスリム化】行事を縮小する、部活の形態を変えて外注するなど。

3,【人的サポートを増やす】保護者や外部のボランティアなどに仕事を依頼する、除菌掃除など雑務を外注する、ICTの専門家にサポートを頼む、など。

そんなこと出来たら苦労しないよという声が聞こえてきそうだが、そうやって諦めてきたから、今この非常時になって、にっちもさっちもいかなくなっているのではないだろうか?

新型コロナは、まさしく日本の学校に突きつけられた最後通牒のような気がしてならない。いい加減、今の時代にはまったく適応していない、戦後すぐ作られた教育を盲目的に踏襲し、とにかく変わりたくない、変われない学校が断末魔の叫び声をあげているようだ。

疲れ果てた抜け殻のような先生を累々と生み出す学校であり続けるのか、それともアメリカのように、先生が4時には楽しそうに帰宅しているような学校に変えていくのか?

変革は、私達ひとりひとりの意識から始まる。


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