見出し画像

「東北弁のパパ活女子」から考える、東北弁のパブリックイメージについて<雑感>

 ずいぶん遠い話になるが、昨年の暮れ、興味深い記事を目にした。

 ノンフィクション作家であり、『東京貧困女子。』の著者としても知られる中村淳彦氏の連載だ。氏の最新刊『パパ活女子』から一部抜粋する形で記事化されており、今回は第三章にあたる部分が掲載された。

 記事に登場する吉川麗美さん(仮名、20歳)は、「茶飯女子」として生活費を稼ぐ元美容師。茶飯女子について、中村氏はこう説明している。

「茶飯女子」とは男性とお茶か食事をしてお金をもらい、恋愛やセックスは一切拒否するスタイルでパパ活をする女性たちのことです。

https://www.gentosha.jp/article/20162/

 吉川さんは一回限りの食事を日に何度も重ね、肉体関係や接触を持つことなく月20万前後を稼いでいるという。
 それだけでも驚くべきことなのだが、彼女の茶飯女子テクニックには「なるほど!」と舌を巻いた。

「パパ活で会うおじさんには、まず方言を使います。食事中もずっと方言でしゃべって、聞かれたら処女っていいます。東北弁って悲壮感があるというか、なんかかわいそうな感じに見られる。方言で話すと、口説かれないし、肉体関係みたいなことを求められない。たまに肉体関係を求められても『しょじょだべ(処女です)』みたいに返すと、相手は諦めて、君はそのままでいいよってなる。だから、パパ活で東北弁はすごく都合いい。」

https://www.gentosha.jp/article/20162/

 「その発想は無かった!」というのが正直な感想だ。東北弁、なるほど。確かに自分が男性だとして、肉体関係を目当てに会った女性が東北弁全開だったなら、すぅっと何かが引いていくに違いない。その根底にあるのはやはり、東北弁、ひいては東北に対する勝手で無意識的なイメージだろう。

 そのイメージとは何か。端的に言えば、‟貧しく厳しい田舎の暮らし”だ。そういったパブリックイメージがあるからこそ、茶飯女子・吉川さんの戦略も通用しているのではないか。

 では、大衆の勝手なイメージはどこからきたのか。ふと疑問に思い、一応は歴史学科出身の端くれとして「歴史上の交通や物流が云々とか農村や農民に対する何かが云々とか、いやドラマの影響とか」など頭の悪い思考を巡らせてみたが、如何せんまともに勉強してこなかった名ばかり院生に論理的な答えが導き出せるわけもなく。

 「Hey、Google! 東北弁 貧しさ で検索☆」とアホ全開でググったところ、面白い論文を発見した。


熊谷 滋子「『田舎』の作られ方 NHKテレビドラマ『続・遠野物語』に描かれる東北」(社会文化学会『社会文化研究』第15号,p117-129,2012)

 「歴史的事実はさておき、やはりドラマ(メディア)が作り出したイメージの影響は大きいんだろうな」と考えていたところで、上掲の論文を発見。何となく湧いた知的好奇心の表層を満たしてくれ、自分の持っている数少ない知識のピースも結んでくれたので、思考の整理も兼ねて少しだけ感想を書き留めておくとする。

 なお予め断っておくと、本noteは学術的なものとは程遠い、個人の雑感日記である。ネット上で簡易にアクセスできる論文のみを読んでの‟かんたんな謎解き”と御承知いただきたい。
(余談だが、最近物書きを続けていく中で、‟的外れな発言に対して批判が飛んで来たらどうしよう”という怖れがエスカレートしている。故にダラダラと言い訳めいた保険の文句を並べてしまうのだが、これは非常によろしくない。)

「田舎者」の記号としての東北弁


 上掲の論文は2010年に放送された『続・遠野物語』を材料に、「東北(東北弁)」にかかわるイメージ形成について考察したものである。著者の熊谷氏は序論において、当該ドラマを「遠野という地域、そして、そこで話されている方言が、田舎の記号として、強く表象されたもの」と評している。

テレビドラマの『続・遠野物語』の主要な舞台はもちろん遠野である。共通語話者の若い女性(東京在住)や若い男性が主人公となり、遠野で癒される話であるが、東京(都会、中央)と遠野(田舎、周縁)といった対照的な関係を背景に、都会からみた田舎という視線で展開されているため、遠野という地域、そして、そこで話されている方言が、田舎の記号として、強く表象されたものとなっている。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ascc/15/0/15_117/_pdf/-char/ja p117

 田舎、もしくは田舎者を表す記号としての方言。これはドラマに限らず他の文学作品や映画、漫画でも使われてきた手法だ。

 熊谷氏の別稿、「新訳がひきつぐ東北方言イメージ 『風と共に去りぬ』に見る黒人のことば遣いを中心に」(現代日本語研究会『ことば : 研究誌 』36号, 2015,p18-33,)でも以下のように指摘されている。

本作品のみならず、文学作品などの翻訳では、一般的には、社会的に周縁におかれた登場人物、特に黒人奴隷のことば遣いに「おねげえしますだ」「ありましねえだ」といった独特の表現が用いられ、それが東北方言のイメージと結びつけられてきている。ロング・朝日(1999)は、アメリカのテレビ番組や映画において、無教養の田舎者は南部訛りの英語を用い、翻訳されると東北・関東方言などになることから、東北方言のイメージがいいとはいえないと考察している。

http://gendainihongo.sakura.ne.jp/gendainihongo/wp-content/uploads/2019/04/36%E5%8F%B7%E6%96%B0%E8%A8%B3%E3%81%8B%E3%82%99%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%99%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%96%B9%E8%A8%80%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%99.pdf p18

 では何故、東北弁が「無教養の田舎者」を表す記号となるのか。地理的事実はもちろんのことだが、東北、いや中央から離れた地方農村自体が「近代国家形成の過程で取り残されていった存在」だから、と言ってしまうのは乱暴だろうか。

 この疑問を解くヒントは、熊谷氏の以下の記述に隠れている。

近代国家成立のために、政治や経済の中心地であった東京の教育ある人の言葉遣いを標準語とすべく、明治政府が率先して推進し、それ以外の地域のことばについては、方言として、矯正や撲滅の対象とみなしてきた。とりわけ、東北方言は、地理的にも歴史的、経済的にも周縁化された東北の地のことばであり、しばしばズーズー弁として軽蔑の対象とさえなり、さらに第二次世界大戦後は、特にマス・メディアなどでは、東北方言を田舎、農民、下層の人々の言葉遣いとしても(指標)利用してきたため、たんに地域方言としてのみならず、拡張し、ある一定の階層や職業をもつ人々のキャラクターを特徴づける社会方言としてさえ利用している。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ascc/15/0/15_117/_pdf/-char/ja p123



 つまり、近代以前より「都から遠く離れた土地」であった東北は、近代化の過程で地理的・経済的に周縁化が進み、明治政府が行った標準語教育も相まって、「未開で野蛮な土地」のレッテルを貼られることとなった。さらに第二次世界大戦後のマスメディアにより、「田舎・農民・下層の人々」を表す記号として利用され、それが今日における東北弁や東北という土地に対するパブリックイメージを形成した、というわけだ。

 熊谷氏の言う「メディア用に脚色された、 中央に期待された『東北方言』」は、何も東北弁に限ったことではない。現在あらゆるメディアで見聞きする方言は脚色(誇張)されたものであり、現実で使用されているそれとは異なる。
 しかし「中央から見て地方は全部‟田舎”なんだ! だから方言=田舎の記号なんだ! それには明治政府の政策から始まりメディアが云々」は分かっても、何故その中でも東北弁が多用されるのか、東北弁使用者を見て悲壮感を抱くのか、本質的には解けていない……と書きながら気づく。
 
 東北弁使用者に対するものと同様の悲壮感を、方言使用者全般に抱く人は少ないだろう。「田舎っぽい」「純粋そう(おぼこい)」等の印象は抱いても、憐れむ気持ちは生まれないはずだ。
 答えは、東北という土地が抱えた歴史的事実、つまり「娘の身売り問題」にあるのではないか。

昭和恐慌と東北地方の身売り

 昭和5年(1930年)から始まる「昭和農業恐慌」により、農村地帯は大打撃を受ける。その結果、東北・北海道地方で「娘の身売り」が増加したというのが教科書上の定説だ。

世界恐慌によるアメリカ合衆国国民の窮乏化により生糸の対米輸出が激減したことによる生糸価格の暴落を導火線とし他の農産物も次々と価格が崩落、井上準之助大蔵大臣のデフレ政策と1930年(昭和5年)の豊作による米価下落により、農業恐慌は本格化した。この年は農村では日本史上初といわれる「豊作飢饉」が生じた。米価下落には朝鮮や台湾からの米流入の影響もあったといわれる。農村は壊滅的な打撃を受けた。当時、米と繭の二本柱で成り立っていた日本の農村は、その両方の収入源を絶たれるありさまだったのである。
翌1931年(昭和6年)には一転して東北地方・北海道地方が冷害により大凶作にみまわれた。不況のために兼業の機会も少なくなっていたうえに、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家経済は疲弊し、飢餓水準の窮乏に陥り、貧窮のあまり東北地方や長野県では青田売りが横行して欠食児童や女子の身売りが深刻な問題となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%81%90%E6%85%8C

 近年の研究では「各社の教科書は、娘の身売りがあったということに関しては一貫しているが、それが昭和恐慌期に増大したというデータは示されていない。」と言った主張も見られるが、時期や数はどうであれ、身売りが行われていたこと自体は公然の事実である。

 先行研究によれば、当該時期前後に初めて「娘の身売り」がマスメディアで報道されたのは、1931年10月30日付『大阪朝日新聞』らしい。当該史料をあたってみようとしたが、学外からではデータベースにアクセス出来なかったので諦めた。


 ……と、年末の私はここまで書き、どうやら力尽きたらしい。ここから先、自分がどんな考察を繰り広げようとしていたのか、もはや思い出せない。せっかくここまで書いたんなら公開してやろう、の根性で、思考の残骸を世に放つことにした。

 恐らくこの記事を書いていた時の私は、こう結び付けたかったのだと思う。
 メディアが生み出したイメージの根底には「身売りの歴史」が大きく存在しており、今日こんにち東北弁使用者に感じる悲壮感に繋がっている、と。

 いやまぁ、何とも乱暴な結論だが、そう的外れでもあるまい。パパ活も言ってしまえば「身売り」だ。過去の身売り問題から生まれたイメージ。それを逆手に取って身売りするパパ活女子。ある意味でパズルのピースが嵌ったような、言い表せない感情が生まれる。

 本来ならば身売り問題の考察はもちろん、周縁化に至った経緯や、歴史学畑らしく近代国家形成の過程で中央が地方に与えた影響等について述べるべきだが、そこまでやるともう学部レベルのレポートになってしまう。

 というか、自分がどんな論立てをしようとしていたのかサッパリ忘れているのだから、これ以上書きようもない。「田舎の記号」に関しては、以下のようなメモ書きを残していた。

そもそも何故「東北」だったのか。薩摩でもいいじゃないか……と思い、いやまて、薩摩どころか北部九州弁が「田舎」の記号になっている作品も多々あったなと思い直す。(完全に余談だが、日露戦争の頃だったか、薩摩人の兵士の言葉を上官がまったく聞き取れず、指揮系統がぐちゃついたという逸話があったはずだ。第二次世界大戦中には薩摩弁が暗号として使われていたという話も。)

 せっかくテーマは面白いんだから、最後まで書ききっておいてよ、2ヵ月前の私。広げた風呂敷をぶん投げ、了。

 

【参考文献一覧】


おもしろいと思ったらサポートよろしくお願いします。サポートは書籍購入に使わせていただきます。