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#197 映画 『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』 正義と不正義の狭間にある日常(ネタバレなし)

 普段から、わたしの記事やつぶやきを読んでくださっている方なら、わたしが世界の不平等を憎んで怒って、意識高い系の本から引用したりして、とにかく世の流れに抵抗しようとしていることを、よくご存知ではないかと思う。

 一方で、休職中の暇な頭に難しいことを詰め込んで、頭でっかちな正義感を振りかざしているように見えたり、社会に適合できなかった人間が呪詛を吐いているようにも見えると思う。実際、わたし自身にもその自覚がある。

 予告編はみていないし、あらすじすら確認せずに劇場へ乗り込んだ。だから、作品に対するわたしの理解度はとても低い。しかし、問題はない。わたしはいつも、映画の解説などしていないのだから。

 わたし達が平穏に暮らす世界は常に、不穏な影を引き連れて進んでいる。それは、人件費の安い国から資源や労働力を奪って成り立つ「帝国的生活様式」の中に生きている罪悪感であったり、自分自身も社会の上層から搾取(上がり続ける税金や社会保険料と、上がらない給料…)されていることの怒りであったり。「ほんとうは違うんじゃないか?」という疑念は尽きない。

 内的な闘争は、ままならない暮らしの責任転嫁か。あるいは将来、より良い選択をするためか。それは大義か、好奇心か、防衛本能・自己保身か。わからない。まあ最悪、どうでもいい。いつ何時もモヤモヤしているのが、わたしという人間だ。

 アニメ作品がすっかりメインカルチャーに昇格した昨今、『デデデデ』のようなサブカル全開の作品はむしろ珍しい。とてつもない不条理を横目に、等身大の暮らしを謳歌する不条理があって、その構図は現実社会と同じである。トンデモな世界観だが、そこにあるリアリティが、わたしを慰めてくれる。

 わたしは評論家ではないため、映画を観たときに重視するのは、そのような「リンク」を持てるかどうかだ。記憶や知識や経験、あるいはその時の気分といった個人の内面にどう接続されるのか。それが最も重要だ。その鑑賞体験が血肉となるかどうか、ということだ。食事に似ている。つまりは、「栄養があるかどうか」である。

 『デデデデ』は非常に美味しく、滋味溢れる作品である。間違いなくわたしの一部として、人生を共に歩むことになるだろう。5月24日公開の後章が楽しみだし、うっかり原作を買ってしまいそうな勢いだ。

 
 
 
あ…買いました…

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