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#130 エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

 あ、エブエブだ。と思った。映画の記憶とわたしの今が、接続された。涙が出てきた。

 この感覚の詳細を説明できれば、映画の記事が1本書けると思う。そしてきっと、それは素敵な内容になるはずだが、今はそこまで頭がまわらない。

 つまるところ、わたしは父と母と兄に、助けてもらいたいのだ。あなた達が知らないわたしが沢山あるのと同じく、わたしが知らないあなた達の力を使って、ここから救い出してほしいと思っている。

 これまでわたしがしてきた家族への態度、勝手な上京、連絡をしたと思えば金の無心、その後は10数年来の音信不通。そうしたことからきっと、普通の感覚ならばわたしは助けを得られない。裏切ったり、逃げたり傷つけたりしたのは、いつもわたしの方だ。

 その罪は、わたし自身が孤独に生きることで抱え続けていくものだと思っていた。もし母が、あの映画のミシェル・ヨーみたいに、あらゆる可能性を引き出してわたしを助け出してくれたら…

 エブエブを観たとき、そんな感情移入はなかった訳だが、映画の記憶というのはいつか自分と繋がることがある。だから面白い。

 正月三が日、ずっと首にロープを巻いていたわたしの行動は、マルチバースの扉を開くだろうか。その先を覗くのは、とても勇気がいる。こわい。正直、家族に連絡をとるハードルに比べれば、もう一度首をくくってみるほうが、はるかに容易い。でも、どちらが正しいのかは、さすがにわかる。


 みんなのスキやコメントがわたしの勇気になっています。(ほんとうに、いま唯一の生きる希望です。ありがとう)でも、当分はこんな感じで現状を書き出すだけになると思います。
コメントもあまりお返しできないかもしれないので、スキを押してくださるだけでも十分です。感謝しています。いつもありがとう。
 
 
 
追記:その後、無事に生きて誕生日を迎えたことへの感謝を込めて、改めてエブエブの話を家族に向けたメッセージとして書きました。

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