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#019 ありがとう

これはやるぞと習慣づけて身につけた、自分ルールがある。

ルール:スーパーやコンビニのレジの人に、「ありがとう」を言う

それだけかよと思ったかもしれないが、私のようなコミュ障にとっては大変勇気のいることで、まさに一大決心というやつだ。

世の中には、イヤホンをつけたままレジに来て、無言で商品をスッと置き、目も合わせることなく金と交換して立ち去る、店員を機械扱いするかのような態度の人間がいる。
それが私だ。

オフなのだ。

意地悪しているわけでも、見下しているわけでもない。
ただ、私のスイッチがオフになっているだけなのだ。

仕事で疲弊しているから、プライベートは感情のスイッチを主電源からオフりたい。
だから、話しかけんなオーラを発して、ツッパっているフリをするのだ。

ところで私は、世界平和について考えていた。

政治とか戦争とか、そんな背伸びした話ではなく、地に足のついた何かをするとしたら、私に何ができるだろう?

ブログやなんかで、何か善性のある言葉を発信することだろうと思ったが、独善になりかねないのでやめた。
献血は薬を飲んでる関係でダメだった。
寄付は時々やってる。

で、思い至ったのは「ありがとう」を言うことだ。
これなら元手も労力もほぼゼロ、喋るだけ。

些細な事ではあるが、実際に言ってみると大きな気づきがあった。
これまでの私はどうやら、感情を商品扱いしていたらしい。

仕事で客前に立つならニコニコするし、少しトーンをあげたあざとい声も出してみせる。
しかし、感情労働を行う小売・サービス業の仲間である店員さん達には、めちゃくちゃ冷たくしてきた。

理由は前述の通りだが、言い換えれば「お金もらえるなら笑うけど?」ということだ。

最悪だったな、と反省した。

「ありがとう」が言えるようになったことで、「大丈夫ですよ」とか「お気になさらず」なんかも言えるようになった。

最初は言い慣れなくて挙動不審だったけど、今ではすっかり慣れて目を見て言える。

私の周囲の、ごくごくちっさい規模の話だけれど、コンビニとかスーパーとか牛丼屋の人とかが、ちょっぴり平和な気分を味わえたなら、それは世界平和につながる幸福ゲージを少しだけ上昇させたことになるだろう、たぶん。

「ありがとー」

「いつもありがとうございます!」

最近、そう返されて嬉しかった。

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