見出し画像

#231 思い出を作りましょう。

 どちらかというと、社会の底辺付近で地味〜に生きてきた自覚があります。そして、過去の記憶には楽しかった思い出の一千倍くらい、つらかった記憶がこびりついています。動物としての本能でしょうかね。そういう性質なんだよと思って、あまり重く捉えてはいませんが。

 それより、もっとすごいなと思うのは、記憶そのものがないことです。以前も少し書きましたが、幼少期の記憶がほとんどありません。

 就学前の記憶は思い出そうとしても、時系列不明のショート動画みたいなものが2、3個浮かぶ程度で、小学校6年間の記憶も初恋の宮崎さんと一緒に下校したこと以外、やはり鮮明に覚えていることはごく僅か。これは中学生、高校生になっても同じです。

 仲の良かった友人達のことはもちろん覚えていますが、進学や就職で一人またひとりと疎遠になり、時間が経つにつれ、やはり記憶からは消えつつあります。顔は覚えているけど、名前が思い出せない。あいつ誰だっけ?は相当ありますね。

 わたしはそれを「承認されなかった記憶」や、「確認されなかった記憶」だと位置付けています。他者に承認された出来事なら、よく覚えていたりはしませんか?また、関係を保っていれば、定期的に昔話が繰り返され、共通体験が失われていないことの確認ができます。そうした記憶はやはり、良く覚えているものです。必ずしも正確な記憶ではないかもしれませんが「思い出」として、深く刻まれます。

 あ、ちなみにこの話は何ら専門的な知識があってのものではありませんのでご注意を。わたしが勝手にそう思っているだけの話です。あしからず。

 いま、わたしのスマホにある写真を振り返る限り、最後に友人と会ったのは2022年の大晦日のようです。そろそろ、人間と会って話をしないといけないような気がします。

 これは鬱になる前からそうでしたが、わたしは人に会うと後悔します。どれだけ楽しい時間を過ごしても、必ず後悔します。「あれは言うべきではなかったな」とか、「あの会話、遮っちゃったな」とか。そういうことです。結局、自分がよく見られたいというエゴなのですが、わりと苦しみます。

 わたしは、そうしたわたし自身の歪みにより、思い出となるべき事象を「嫌なこと」に変えてしまっているのかもしれません。でも、せっかく生きているのだから会わなきゃね。

 思い出を作りましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?