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#245 「あたしバカだからさぁ、」を考える

 過去に出会った人で思い出せる限り、会話の中に「あたしバカだからさぁ、」というワードを使う人を三人知っています。三人とも、特にバカだとは思いません。むしろ無知を認めていることにより、率直な質問ができたり、行動で貢献しようという傾向があり、公私問わず輝いてると思います。ちなみに、思い浮かんだ三人とも女性です。おそらく男性はプライドもあり、そのような言い回しが癖になることが少ないのでしょう。

 知性には種類があり、わたし達の社会はその一部しか活用できていません。わたしはそう感じています。もちろん、知的能力の上下はあります。ただし横の広がりというか、その種類にはあまり配慮されていないなと思います。文章は読めないけれど、動画なら理解できるとか、そういうことですね。

 例えば法律の条文、読めますか?そこからルールを判断して生きていけますか?これは能力の上下の話ですね。まあ、ほとんどの人は、無理だと思います。だからこそ、弁護士をはじめとした法律系の士業に頼る訳ですよね。あなたが使っているPCやスマホの仕組みを説明できますか?という質問も同じですね。実生活では、仕組みは知らなくても使えていればそれで良いのです。

 結局、平凡な大多数の人間の知性などに大した差は無いのだと思います。しかし、行政サービスを活用しているとか、デジタルツールを使いこなしていると「知的っぽさ」がありますよね。

 「あたしバカだからさぁ、」という人が自覚している劣等感は、そのような社会の評価軸 ー日常会話が学力クイズ的に機能してしまい、格付けに繋がってしまうー に晒されてきたからでしょう。読める漢字が多いから何でしょうか?暗算が得意だから何だというのでしょうか?そうしたことも、わたしは「知的っぽさ」の範疇だと思っています。

 その程度で自分はおバカだと、知性を諦めてはいけません。いま、賢いと認められていない能力が評価される未来もありえるからです。昨今の理系偏重など、歴史的にはごくごく最近の出来事です。

 「鹿を見て馬だと言う」意味においては、自身の党に端を発する政治資金規正法の改正案を、野党から再三批判を受けながらも「これでヨシ!」とした自民党公明党のお歴々に対して使う、というのは適切だと思います。ただ、少なくとも、他者が人様を見てバカだなどと言ってはいけません。ましてや、自分自身に対して使うものではありません。

 何でこんなことを書きたかったか、というとね、最近YouTubeをよく見ているのですが「あまりにも軽く使われすぎてない?」と驚いたからですよ。わたしは活字派なので、そもそも動画コンテンツにあまり触れてこなかったのだけれど、ちょっとびっくりでしたね。ニュアンスと文脈によっては、好意的な笑いを起こせる言葉ではあるんですけどね。

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