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ルパン三世 PART5 大河内脚本の科学的構造Ⅱ

PART5の全編を通して流れるルパンの静かな怒り。

それは、EP1でルパンが誘って再会したのにも関わらず、二人の間にある埋めようのない溝をまた味わっただけの、どうしようもない不二子の不在によるもの。


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「俺が今何考えているか教えてやろうか?」「今夜抱く女のことさ」


4年ぶりの再会で、不二子を傷つけるような言葉を言わずにいられなかったルパンが、再会後に「女には不自由しない」と自分に言い聞かせてたルパンが、EP3で不二子と遭遇した後「俺はまだ何も盗んじゃいない」と自分の気持ちに気づき始める。


ルパンの気持ちの変化の間には、不二子の活躍が存分に描かれるのみで、二人の間は何もない。なのになぜルパンは、気持ちを新たにしたのだろうか?自らのプライドを、不二子を、盗むと決意したのだろうか?


本当ならルパンたちがアミを助けるはずだった。お宝を狙いに潜入する予定だった。なのに、不二子はルパンたちよりもずっと早く、女教師としての職を得て内部に入り込んでいる。それどころか、ルパンが守るはずだったアミも不二子によって救い出され、ルパンたちが潜入した時はすでに不二子がラスボスを始末していた。

不二子の仕事の早さと手際のよさの前では、ルパンたちは用済みで、無駄骨で、役立たずだった。


そう、この不二子の活躍は、暗に不二子がルパンに負けない抜け目なさ、したたかさ、強さや賢さを持つ女であることを示していて、ルパンにとって負けられない「敵」として現れたことを意味する。


「男ってのはな、敵が必要なのさ。超えるべき敵、許せない敵、ライバル、友人、親、女」
「女も敵?」
「不可解で最愛の敵だ」


ルパンが俄然やる気になったのも、自分の目の前に新たな挑戦として不二子が現れたからで、これまでお決まりで当たり前だった「(潜入までの下準備も含めたら)なぜかルパンたちよりもずっと早くお宝に近づいている峰不二子」というシチュエーションが、いかに不二子の有能さを裏付けるものとして、恋人としてだけでなくライバルとして、常にルパンを刺激し駆り立てていたかということがわかる。

ただの有能な女、というだけでなく、その有能さはルパンのライバルの証として、また征服の対象として、ルパンを再び不二子に向き合わせ、気持ちを奮い立たせ、復縁へ向かう足掛かりにするというロジックは、流れるように進む物語の展開からは想像も出来ないほど、巧みな仕掛けだと思っている。


この不二子の有能さに舌を巻くルパン、というのは「峰不二子という女」のエピソードを彷彿とさせるもの。特に初回の二人の出会いのシーンは、二人の関係が原作通りライバル関係から始まっている様子が描かれていて、ルパンは最後「峰不二子をいただきます」と宣戦布告している。


「俺はまだ何も盗んじゃいない」で終わったEP3のこの回は、ある意味このオマージュでもあるかもしれない。


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不二子との関係を描く時、男と女である前にまずライバルだったという原作の原点をきちんと押さえながら、復縁に向けて二人の関係を再構築していく脚本は、とてもフレッシュで素晴らしい。


「何度不二子に騙されても許してしまうルパン」という設定の裏で、真っ当に勝負しても時には不二子に敵わないルパンがいる。ルパンの寛大さ、許しは、男の余裕だけじゃなく、自分を負かす女へのリスペクトと、愛する女との和平を望む休戦協定のようなものかもしれない。


復縁に向けての二人の関係の再構築が、出会った頃ライバルだった二人という原点に戻ることで、まるであの若かりし頃のように、もう一度二人が、二人の歴史を新たに歩み始める。


「峰不二子という女」でやんちゃをしていた頃の若い二人が蘇る。賛否両論のこのシリーズを、PART5を見終わった後に改めて見直したというファンも多かった。私もその一人(初回しか観たことなかった)。

そんな風に過去作品を振り返り、ファンに過去シリーズへとルパンの歴史の再確認を促すのは、オマージュ作品としては理想的で、まさに「過去のルパンを全肯定」して歴史を持たせることに成功している。


不二子との関係をリセットさせたことが、ルパンの歴史を一から振り返るきっかけとなっている。リセットさせた関係を再び始める。出会った頃を思い出し、またやり直す。

これもまた、過去改変の一つでもあり、二人の関係をリニューアルし、その歴史を現代においてまた繰り返すことで、パラレルワールドのような形で現代に私たちのルパンをまた蘇らせている。


二人は一度破局した。これが正史になるのかどうかわからないけども、「カリオストロの城」で、アラフォーの二人の終わった関係を描いていて、PART5がいつのタイムラインになるのか6が来て完結してみないとわからないけども、もう何十年も前に二人の冷めた未来が描かれているのだから、二人の歴史に大河内脚本のような時代があってもいいのかもしれない。


とはいっても、公式で発表されたもの、人気があった作品は、その後のルパンのスタンダードになりがち。テレビシリーズではあんなにラブラブしていた二人が、テレスペになると距離が出来、恋人ではなく仕事仲間、一同業者でしかない関係はどこかよそよそしさがある。


そこには「カリオストロの城」の影響があったはずで、PART5によるある種のルパンの過去改変により、ルパンと不二子がまたあの頃のような蜜月に戻れたなら、小池ルパンから始まったルパンのリブートは、ようやく目的を達成したように思える。

それでもなお、大河内脚本でも少女ヒロインがいることが前提になっている。ルパンの真のリブートは、子供が居なくても成立する物語の創作、大人同士の世界(ゲーム)の復刻だと思う。宮崎ルパンによってかかった呪いが解かれた時、ようやくルパンたちは真の輝きを取り戻すのではないか。


こう考えていくと、宮崎ルパンによってかけられた少女ヒロインという呪いが、いかにルパンと不二子の愛情関係に影を射していたかわかる。ほとんどの少年少女漫画やアニメが結ばれる前までしか描かれないのに対して、恋人同士の男女の付き合いを正々堂々と描いていたルパン三世に、いきなり現れ二人の仲を崩壊させた「カリオストロの城」

男が女と向き合わず、右も左もわからない少女に現を抜かす。青少年の精神衛生上こんな不衛生なことはなく、2ndのルパンしか知らなかった自分は、ルパンと不二子のまるでワインのように甘美で芳香のある色気から、干物のように乾ききった二人の関係に絶句したのを覚えている。まるでそのキャラデザのように。

「子供が大人になるための通過儀礼」としてのアニメや漫画の機能が失われ、「子供は子供のままでよい」と娯楽漬けにし、永遠の庇護対象として支配される脆弱な精神性を植え付けた瞬間ではないかと思っている。




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