ルパン三世 PART5 大河内脚本の科学的構造Ⅲ
もう随分本も読まなくなったし作家じゃないので確かなことは言えないけれど、大河内脚本は21世紀に登場した新しい表現芸術、脚本の構造なのかもしれないと思う。だからこれを他のクリエイターのルパン作品と比較するのは酷かもしれない。
古くはアラビアンナイト(千夜一夜物語)や日本昔話のような民話から、シェークスピアや源氏物語のように文学の構造は進化している。人類の知性の進化により。
民話や昔話は物語が一直線に進む。起承転結の起転結ぐらい。それが文学の登場で起承転結になる。
近現代の小説になると、そこにいくつものメタファーが盛り込まれ重層的になる。そして時間や場所、登場人物の内面を行き来した構成はより構造的で立体的になり、時空を伴った物語世界が生まれるようになる。
読者はその疑似空間に招き入れられ、没入し、時間を忘れて読みふける。演劇や映像であれば、我を忘れて感情移入し、感動する。民話や昔話ではそのような作用は起こらない。推理小説は特に小説の科学的な構造やテクニックの実験体だと思う。
PART5はこれまでのルパンの集大成ということだけども、単なるオマージュではなく、パズルのピースを組み合わせるように科学的に集積している。
でもそれは平面的なパズルではなく、プラモデルやジオラマのような立体的な構造を持つもの。その奥行の深さ、複雑さは、ビルや城のような重層的な構造を持つ建築物に近い。
大河内脚本はルパンという限りなく自由なフォーマットを使って、オマージュやサンプリングといった技法による壮大な実験をしている。これは単なるコラージュではなくて、過去のピースを現在未来のパーツとしてどのように集め機能的に配置するかで、過去現在未来を複合的に絡み合わせどんな物語を構築出来るか、時空や場所を絡ませ立体的に造形し、どこまで物語世界が実体を持って立ち上がり、ルパンたちにリアリティを与えられるか。
組み合わされ積み重なったパーツから登場人物の内面を引き出し、マンネリに満ちたお約束から、現代に生きるルパンとして、新たな人物像を浮かび上がらせられるか。ルパンらしい実験要素に満ちたアグレッシブな挑戦。
オリジナルではなく誰もが知っている長い歴史を持ち、自由に調理出来るルパンだからこそ、脚本家の創作の手法や技法の腕前が存分に試される。脚本家が職人のように打ち立てた、物語世界という構造物の柱や部屋の数々の中に、視聴者は招き入れられる。
一つ一つの柱が別の部屋を支え合っているように、各エピソードやシーンに現れるシンボルやメタファー、イメージや台詞は互いに連鎖していて、全体の構造を明らかにする。まるで城のように精密に計算され、寓意に満ちたPART5のイマジネーション。一見意味のない行為や台詞、シーンは、全体を支えるパーツや基礎だったりする。こちらが気づかないだけ。
けれど、それがどのようなものか視聴者がわからなくても、匠の技が施された家屋の住み心地が特別なように、PART5の世界観に強く引き込まれ、いつの間にか没入している私たちがいる。むしろその仕掛けや技に気づかれない方が、押し寄せる感情や感動の波に身を任せられる。優れた職人が施した施工は、壁や柱の裏に隠れている。
ルパンの言葉一つとっても、それは不二子に向けられたかと思えば過去作へのオマージュであり、ルパン自身の真実を表す言葉でもあり、現在のドラマの筋を押し進めるものでもある。
過去のサンプリングにより、その過去作品のルパンも、そのドラマ自体も、ルパンが生きた歴史として現在のルパンにオーバーラップしてくる。
私たちの知っているルパンが今そこに目の前に現れ、生命を吹き込まれたように生き生きと輝き始める。歴史が長いもんだから、まるで巨人のようである。でもそれこそが真のルパンの大きさであり、ファンが待望したもの。
ここが小池ルパンによるリブートと違う所で、小池ルパンが時代劇のようにルパンという型を演じ(させられ)ているのと違い、大河内ルパンはルパン自身に歴史を被せながら、今を生きるルパンとして実体を持ち、私たちと一緒に未来へ向かう姿が描かれている。待ち望んだヒーローが目の前に現れた瞬間。
ちょうどあの頃、1stや2ndをワクワクしながら観ていた子供時代のように
未来を予感させるルパンを生み出したことは、本当の意味でのリブートを果たしていて、現代に生きるヒーローとして、私たちをワクワクさせてくれる。
大河内さんは多分過去作品をチェックした時、使えそうなシーンや台詞、イメージをピックアップし、パーツのようにメモしたと思う。そして全体を通して見えて来るテーマを絞り出し、ルパン三世にある「ヒーロー」「敵」「仲間」「ファミリー」「愛」などの各テーマがルパンを始め登場人物にとって何を意味するかをリストアップし、それぞれの部屋を与えている。
その部屋の大きさは、テーマの大きさによっても違う。そのテーマにあった柱を、抜き出していた過去作からのパーツと合わせ、エピソードを作り出す。そのパーツは過去作のオマージュでもあるから、また別の次元を生み、入れ子構造のように別空間を持ち始める。
各部屋のイメージや繋がりが出来た時に、部屋やフロアを廊下や階段で繋ぐように、それぞれのエピソードを連鎖させるシンボルやツール、台詞やパターンなどでイメージを繋いでいく。最後に全体の美観として、形状や構造を合わせる。時系列や場所を選び、モザイク状にシャッフルする。それは、建物の奥までお客を招き入れるための劇的な効果となる。
とまあ、PART5の脚本や演出はこんな風に建築物の設計を想像してしまうほど、構造的で立体的な仕組みを感じさせる。シリーズ通してエピソードが分割されていたり、個別のエピソードが挟まれてたりするのも、元々大河内脚本が建築的なアプローチを取っていて、しっかりとした構造を持っているからだと思う。
大河内脚本が一直線に話を進めず、他の脚本家の単発回を挿入し、モザイク状にエピソードを配置したのは、元々大河内脚本にそのような構造があるからで、もし連結させて区切りのないまま話を進めていたら、各々のエピソードの持っている軸のせいで、逆に混乱したのではないかと思われる。軸というか、独立したセル(Cell)のようなイメージ。
ちなみに、PART5には回収されていない伏線が張られまくっており、時間軸のシャッフルは次の6とのシリーズ間で起きている。5から6へと真っすぐに時間が進むのではなく、エピソードや時間軸のシャッフルにより、互いにボタンを掛け合わせたようになっていて、まるで平行世界のように向き合っている。
エピソードの分割は、PART4からのアイディアでもあるけれど、5ではそのアイディアを大きく発展させている。
分割してラストまで引っ張ったのにクライマックスでの盛り上がりに欠けたPART4に対して、5は分割によるエピソードの独立によって、各エピソードの主題を明らかにさせ、視聴者はラストに向けて主人公の内面の変化や人間関係の変化を段階的に追うことが出来る。
さらに次の6とのボタンの掛け合わせという構造も生み出し、パラレルワールドのような共時性も追体験させている。
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