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スキマスイッチの新曲「クライマル」の歌詞考察

デビュー20周年を迎えるスキマスイッチ。
2024年7月に10枚目のアルバム(ライブアルバムなどは除く)『A museMentally』が発売されました。
そのニューアルバムから先行配信された新曲のデジタル・シングル『クライマル』を取り上げたいと思います。

MV(リリックビデオ)もYouTubeで公開されていますので、曲をフル尺で聴くこともできると想います。
MVには女優「小林 桃子」が出演しています。
クライミングをモチーフに「壁を乗り越える」をテーマにしたオリジナルの楽曲です。

MV(リリックビデオ)に込められたメッセージ


AERA.dotの記事によると、リリックビデオのストーリーは以下のように紹介されています。

「クライマル」は、“クライミング”をモチーフに、自分の中にある内に秘めた闘志を奮い立たせ、鼓舞する楽曲となっている。

 今回公開されたリリックビデオは、「曖昧な未来像で就活にイマイチ一生懸命になれない主人公は、忙しくなる周りの友人たちに取り残され、現状を打開し前に歩き出すきっかけをなかなか掴めないでいる。金魚鉢に反射する揺れ動く光のプリズムを見て思い立ち、車でどこかへ走り出す。朝焼けの空を見上げる表情はどこか吹っ切れ、再び主人公の時間が動き出す」というストーリー。

 他人と比較して同じ色を目指すのではなく、自分を見つめ直して、自分の色を探していく主人公の心情や行動の変化を繊細に表現した映像に仕上がっている。

AERA.dot:https://dot.asahi.com/articles/-/225819

オリジナルの歌詞に込められたメッセージを考察


以下のサイトで詳細をまとめています。

ここでは、「クライマル」の歌詞において、表現や言い回しなど細かい部分について、歌詞とそのメロディーから読み取れることを、個人的に考察したいと思います。

とは言え、そんなに不可解な歌詞というわけではなく、メッセージとしては分かりやすい方だと思いますので、ほとんど改まって解説する部分は少ないのですが、個人的な細かい解釈など残しておきたいと思います。

Aメロ1

曖昧に描くモチベーション 滲んで見える風景
気づけば在りし日の自分と 待ち合わせている
手に負えない淀んだ朝 秒針が脳に響く
寝ころがるソファから見えた 空は青い

クライマル歌詞より

曖昧な未来像に対するモチベーションがおそらく強く持てない状態なのでしょう。
それが、今の風景も、この先の風景もぼんやりしていて、
昔の情熱を持っていた自分がまた返ってくるのを待っているという状況が読み取れます。

過去の情熱を擬人化して、待ち合わせしているという表現にしているのが好きです。

自分ではどうにもコントロールできないまま、朝起きてもどんよりした気分であることが読み取れます。
それは、時計の秒針の音が心地悪いくらい。
やや時間に負われている感じもあるのでしょうか。だとすれば、焦りもあるのかなと考えられます。

そして、ソファにもたれかかって、見えた空が青いと感じたところで転回しそうな予感をさせます。

前のフレーズと感情としては変わらず、情景を表す言葉を並べることで、どのような感情になっているのか深みをもたせるパートですね。そして次の展開へつながる言葉を残します。

Bメロ1

暑すぎた 夏は 遠くへ
イメージを形に変えなくちゃ

クライマル歌詞より

過去の情熱を持っていた暑い(熱い)夏が、どんどん過去のことに(時系列的に遠くへ)感じている様子が読み取れます。
おそらく夏の青空を見て思い出されるような情熱を持っていた時期が過去にあったということなのでしょう。

そして、ぼんやり描いている夢を、もしくは夢につながるようなことに対してアクションをしなければと改めて感じているのでしょう。

ここでメロディーは、山を登るように音階が上がっていきながらサビに向けて盛り上がっていきます。

サビ1

オーロラのように 壮大に輝いていても
見ているだけの幻想ならば必要ない
ぶち当たる壁は臆病さが創造した不安だ
ひび割れた場所を探し 足をかけよじ登るんだ

クライマル歌詞より

夢がどんなにきらびやかで大きなものであっても、見ているだけでは意味がない。
壁だと自分で感じているものは、自分の臆病さや不安な気持ちが作り上げたものだから、
自分で解決できる。だから乗り越えるんだ。

というメッセージだと考えられます。

イメージの中で「」を実体化して、その中で「ひび割れた場所を探し、足をかけよじ登るんだ」という比喩をしている点がよいですね。
ここでいうひび割れた場所は、一見ネガティブな言葉に捉えられがちですが、不安の中でも自信がある場所というポジティブな言葉に置き換えられますね。
また、メロディーとしても壮大さが現れているのがよいですね。

オーロラを使っている理由は、よく分かりませんが、「ボヤッとしたもの」でかつ「美しさ」と地球規模の「壮大さ」の両方をあわせたよい表現だからではないでしょうか。

この「オーロラ」はスキマスイッチの中で、テーマが決まった時点でイメージされたものなのかなと個人的に想像を膨らましてしまいますが、実は後から当てはめて持ってきたワードなのかもと少し気になります。

Aメロ2

生まれ変わろうとしたって 黄色が青にはなれない
それでも違う色を選んで 自分の色を見つけて

クライマル歌詞より

人生にやり直しはきかない。自分を変えようとしたって簡単に変わるものじゃない。
それでも他の人とは違う、自分らしさを見つけなきゃと自分を見つめ直そうとしている様子がうかがえます。

黄色と青を取り上げているのは、単に色の三原色(シアン・マゼンタ・イエロではなく、絵の具などでよくいう赤・青・黄)を使うことで、変えることができない色だということを表しているのでしょう。
そして、その中で黄色と青色を使っているのは、信号の黄(注意)と青(進め)を連想させているのかなと考えられます。

不安を持った「注意」状態の自分から、「進め」状態になろうとする意思が見えます。

Bメロ2

パレットの上、模索する可能性

クライマル歌詞より

前のフレーズの「色」をそのまま比喩に使って、次のサビへつなぎます。

自分の色はなんだろう。自分らしさ、自分の特長ってなんだろう。と考えて模索するようすを、パレットの上で様々な色を混ぜ合わせて、欲しい色を探し出している様子に例えています。

サビ2

加速する水の流れに飲まれて
息継ぎする度 溺れそうになる
すがる想いで手に取ったその絵の具が
明日を塗り替えてくれる そんな淡い希望を抱いて

クライマル歌詞より

引き続き「色」の比喩を用いて、なんとかイメージだけだったところから、アクションしだすパートです。

新しいものや新しい才能がどんどん目の前に現れて見える、そんな世の中の流れの速さに、ついていくことに必死で、それでも自分の持っている武器(スキル)が未来につながると思って動き出してみるぞという意思の現れだと、私は捉えました。

なぜ水の流れという表現をしたのか。これは完全に個人的な想像ですが、色の比喩が続くことで、絵を書くときに使うバケツを連想しました。
それは、パレット上で色づくりを繰り返す上で、何度も筆をリセットさせては、また色を作ってと試行錯誤している様子をイメージして生まれたワードなのかなと感じました。

バケツの水を筆でグルグル回している様子と、早く自分の色を見つけなくちゃという焦りとが混ざり合って、水と時間が混ざったような表現になっているのかなと思いました。

そして、この「色」にこだわっているのは、他者の「色」と比較しているからこそだと考えられます。
加速する水(時間)の流れに飲まれている中には、単に過ぎてく時間への焦りだけではなく、どんどん出てくる新しいもの、身近な人も含めて新しい人・才能が含まれるんじゃないかなと思います。

また、「そんな淡い希望を抱いて」という表現からは、まだ自分でも不安を拭いきれておらず、「浅はかさ」や「いつか役に立つだろう」という淡い希望だと自分でも認識していることが感じ取れます。

「私はこれでいくんだ」という確固たる信念とか、自信は全くないけれど、とにかく目の前のできることをしようと動き出したというところがポイントなんだろうと思います。

Bメロ3

ぼやけてた未来が鮮明に

クライマル歌詞より

間奏を挟んで、転換を迎えます。
間奏のメロディーも、音階を行ったり来たりさせて、少し迷いを表現しながらも、徐々に音階を上げて気持ちを高めるような作りになっています。

そして、「ぼやけてた未来が鮮明に」。
鮮明になって完全に乗り越えた状態になったというわけではないのだと思います。

ただ、実際に手を動かしてみたことで、自分はこの「色」で行くんだという糸口が見えたのかなと思わせるフレーズだと思います。

メロディーも1番のサビ前のように登っていくように音階が上がっていきますが、更に転調があり2段階になって更に大サビに向けて盛り上がっていきます。

サビ3

オーロラのように 壮大に輝いていても
見ているだけの幻想ならば必要ない
そびえ立つ壁が思うより高かろうとも
自分のステップを見つけて 足をかけよじ登る

クライマル歌詞より

前半は1番のサビと同じです。
改めて、夢だけどんなに大きくても、見ているだけでは意味がないのだと理解しています。

そして、自分が感じている壁が思った以上に高くても、自分の足を引っ掛ける場所は必ずある。だから、その場所を見つけて、乗り越えようとかなり気持ちが前向きになっています。

それは、1番の歌詞が「足をかけよじ登るんだ」という表現だったのに対し、「足をかけよじ登る」という言い切る表現に変わったことから読み取れます。

サビ4

オーロラのように 無限に広がっていても
いつか消えてしまう幻想ならば必要ない
頂点に続いていくルートは決して一つじゃない
もう一歩先のステージへ 願いをかけはい上がるんだ

クライマル歌詞より

大サビのラストです。

オーロラは「壮大さ」から「無限の広がり」の方を強調に使われるように変わりました。
未来や夢のぱっと見の大きさから、更にその先の広がりや深さというところまで意識されたようです。

「いつか消えてしまう幻想ならば必要ない」というところからも、「なんとなくの夢」を見るだけでなく、情熱の消えない「生きがいとなる夢」でなければならないと強い意識に変わったことが読み取れます。

そしてその頂点に向かう道は、一つだけではないよ。選ぶ道はいくつもあるんだ。
だから、壁を乗り越えて、更に一歩先のステージへ向かおう。それは簡単に登れる道ではないかもしれない。けれど、強い意思と願いを胸に、上っていくんだ。

更に次のステージへ進むには、道がどんどん険しくなることは分かっていて、それでもどんなに苦しくても上っていくんだという強い意識に変わったことがわかります。

それは「よじ登る」から「はい上がる」という這ってでも登ろうという表現に変わったことから読み取れます。

不安で動き出すことさえできなかったところから、いきなり先の苦難まで乗り越えるぞという意識に変わったようで、急激な意識の変化は何なんだと最初感じました。

ただ、自分の色を見つける。それは自分の生きがいとなるくらい熱い情熱をもってないと作れないんだ。
と気付いて、覚悟ができたという動きまでが重要なのではないかと感じました。

実際に、現時点では何も、具体的に進むような行動は取らずに終わっています。

ただリリックビデオのラストでも、主人公が急に思い立って車でどこかへ走り出し、朝焼けの空を見ることで、どこか吹っ切れた表情に変わっていました。

ビデオの中で、主人公は日記をつけており、朝焼けを見たときのことを朝焼けの絵を書きつつ、こう綴っています。

「朝日を見に行った。
 いろいろ考えていたら
 何か、いてもたってもいられなくなってた。
 でもどこかスッキリした気がする。」

YouTube『スキマスイッチ「クライマル」Lyric Video』より

再び主人公の時間が動き出すというストーリーと解説されているとおり、
気付きを得て、次のアクションができるようになるまでで十分先に進むことができるんだと思わせてくれます。

大サビラストの強い意思は、現時点で壁を乗り越えられない人にとっては酷なメッセージなのではとも思いそうですが、ここは、更に高みを望む人に向けても届くようなメッセージを込めたのではないかなと思います。

そして、それはスキマスイッチ自身にも向けているのではないかなと思います。というかむしろそっちなのではないかと思っています。

デビュー20周年を迎えて、また次のステージへ向かうスキマスイッチ。
2024年7月13日・14日の2DAYS。スキマスイッチは地元・愛知県で初となる主催フェス「スキマフェス」開催しました。出演者も豪華アーティストでした。
また、2024年11月12日には、2023年に亡くなったKANさんのためのイベント、『KANさんを慕うミュージシャンが集う「KANタービレ~今夜は帰さナイトフィーバー~」』の主催の一員を担います。

このように、スキマスイッチも新しいステージへ確実に向かっています。

したがって、大サビのラストは、曲を聞いた人にとっても、スキマスイッチ自身にとってもはっぱをかけるような、大きな応援ソングなのではないかと思います。


補足など含め、これらの詳しい内容ははこちらのページでまとめています。


以下参考です。

◎映像情報
YouTube『スキマスイッチ「クライマル」Lyric Video』

YouTubeチャンネル:『スキマスイッチのこのヘンまでやってみよう』

オフィスオーガスタページ:https://www.office-augusta.com/sukimaswitch/sukimafes/media/live_report/



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