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帰国子女という人種

今でこそテレビやコンビニで外国人を目にする機会も増えたが、それもここ最近の話である。中学生当時は外国に住んでいたが、年に一度、田舎の祖父母に会いに行ったら、「異国からやってきた孫」という出迎えをしてくれたものだ。祖父母から「国際感覚」という言葉は一切感じられない。

さて、今回は外国暮らしが長い帰国子女がどうなるか、について書いていく。そんなまさか、と思うかもしれないが、18歳までの8年間を外国で過ごしたわたしが実際に感じたことなので、家族帯同で駐在する方のお子さんが、残念ながら似たような人間になってしまうかもしれない。

焦りと不安を抱きながら、読み進めてもらいたい。最後に絶望か希望を感じる事だろう。

わたしは日本人である

早速だが、わたしの通っていたインターは日本人が少なかった。外国暮らしをし、周囲に自分と国籍や人種が異なる人々がいると、「彼らと自分は違う。わたしは日本人である」と、自分が日本人ということを認識する。日本人に囲まれ、周りも全員日本人だと、その感覚は生まれない。

インターで友人と文化の話になった際、「日本はどうだ?」と聞かれると、わたしの感覚=日本人の感覚になる。たとえば、食前にお祈りをするキリスト教の外国人に対し、「日本人は『いただきます』と言い、食材や作ってくれた人に感謝する文化がある」と伝えたり、「日本人は目上の人に対しては丁寧な言葉を使う」と紹介したりする。

このような会話の時の主語は「わたし」ではなく「日本人」である。日本人同士では滅多に行わないこのような会話を何度も繰り返していると、自然とわたし=日本人という感覚ができ上がる。

無意識に侵食されるアイデンティティ

同時に、外国文化の影響も多分に受けることとなる。金髪でショートパンツの服装など当たり前になり、公衆の面前であろうがイチャイチャしたり、何気ない会話でも大袈裟なリアクションを取ったりするのである。

金髪でロン毛のニュージーランド人(男)がいたり、ガールフレンドに夢中なアメリカ人がいたり、めちゃくちゃ陽気でいきなり踊りだすインド人が居たりするのである。はじめは、自分は違うと思っていたにも関わらず、インターという人種のるつぼを自分のコミュニティとして無意識に感じることになる。

普段は何も思わないが、体育祭で一致団結したり学園祭を一緒に楽しんだりすると、仲間意識が芽生え、気付かぬうちにインターという環境が自分に心地よいコミュニティとなる。

コミュニティ内では大人しい部類であるが、自然と自己主張が強くなる。

適応能力が高い人は、気付いたら突然踊りだすかも知れないし、金髪ロン毛になるかもしれないし、ガールフレンドに夢中になるかもしれない。

帰国子女の誕生

インターに通って数年も経つと、自分を日本人と思いこんでいるが感覚は外国人の人間が生まれるのである。こういった人を、日本では「帰国子女」と呼ぶ。

そして日本に帰国した「自称日本人の外国人」のわたしは、自分の感覚が日本とかけ離れていることに初めて気付く。日本には金髪ロン毛の男や、彼女に全力の人や、いきなり踊りだす人は珍しいので、同じような髪型、限られた恋愛表現、滅多に踊らない人に囲まれ、戸惑う。

知らず知らずのうちに外国人になっていたわたしは、いわゆる逆カルチャーショックを受けることになる。同じ日本人なのにどうして、と。インターに金髪禁止の校則などあり得ないのだが、日本の『金髪禁止』の校則を理解できないのが帰国子女である。私自身も、本気でその校則を理解できない人間の一人である。

わたしは、外国人は違って当たり前なので何とも思わなかったが、日本人は同じで当たり前と思っていた。しかし、知らぬ間に考えが異文化に侵食され、「日本人の感覚と異なる日本人」となる。

帰国直後のわたしは、「なんでも良い」が口癖の友人に「自分の意見はないの?」と真顔で質問するような人間だった。

まとめ

「日本人の感覚と異なる日本人」をメリットと捉えるか、デメリットと捉えるかはその人次第である。「国際感覚」というオブラードに包んだ表現ができる扱いづらい日本人こそ、帰国子女ではないだろうか。

この話は、あくまでもわたしの感覚の話である。わたしと似たような経験をし、誰とでも仲良くなれるコミュ力お化けの帰国子女もいるし、大人しい性格の帰国子女もいる。

合計8年間の外国生活であるが、インターの経験はたった3年半である。それでもここまで侵食されるので、幼少期からインターや現地校に通っている人は、より強いアイデンティティクライシスに陥るのではないだろうか。

次回は、小3から高校卒業までインターに通った妹との比較を通して、インターに通い始めるおすすめの時期について書こうと思う。

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