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かゆみ考察論。

*かゆみについて、ぼくはたびたび考えることがある。「痛み」とか「苦しみ」とかってある程度まで我慢できたり、慣れたりすることはあると思うんだけど、この「かゆみ」ってやつに慣れは存在しないね。かゆいときはいつだってかゆい。「痛みに慣れたよ」と言う人はいても「かゆみに慣れたよ」なんて聞いたことがない。それに、かゆみはなかなか我慢できないんだね。いちばんほうっておけない感覚じゃないだろうか?

しかし、かゆみにおいては、ほうっておくのが一番なのである。ちょっとだけ…とかこうものなら、続けてどんどんかいてしまう。かきむしってしまうと、そのときはさっぱりするかもしれないが、あとの始末が悪い。化膿したり、血が出ちゃったり、赤くなったり。かゆみに関しての対処法は、「こらえる」ことだ。そんなもん分かりきってるが、どうしようもないじゃないか!というのも、わかる。

しかしこれは、物理的なかゆみだけではないよ。人間関係でも仕事でも「かゆみ」を感じることがある。そのとき、下手にうかつに手を出してかきむしってしまい、後悔したことはないだろうか?真夜中に書いたラブレターなんかがそれだね。かきむしるように書き、そのまま投函して痛い目を見たやつは、地球上に数万人は存在するはずだ。じっとこらえて、見つめるのが一番なのだ。

こらえた代償は、ちゃんとある。まず、何にもならない。かいたらひどくなるけれど、こらえることができたら、何にもならない。我慢する度量も磨かれる。肌を観察するように、人間を観察することもできる。かゆみに関して、こらえることをオススメする次第だ。そうこう言いながら、ついついかいちゃうもんなんだけど、それをグッとこらえてみよう。数年前の消費税程度の達成感は味わえる。

ほら、かゆみについて考えてると、鼻先とか、すねとかがかゆくなってきませーん?そうそう、無意識に手を伸ばしちゃうでしょう。それを、ちょっくらこらえてみましょうよ、ということです。


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