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過剰な思いやりは、逆に手抜きだ。

*酒場が好きなぼくでも、苦手だなぁと思う酒場がひとつある。それは、グラスが残り少なくなった途端に「何にしますか?」と聞いてくる酒場だ。向こうからすればサービスなのかもしれないが(もちろん、売り上げのためもある)、これをされるとイヤになってしまう。別にハイボール1杯で一時間も居座る気はないし、頼みたかったら頼む。例えグラスが空だったとしても、空であることは飲み終えた自分が気付いている。


そこまで仲良くない友人の家に遊びに行ったとして、料理も飲み物も座る場所も、なんでもかんでも至れり尽くせりだったとき、申し訳なさを感じてしまったことがあるでしょう。あの感じなんだよね。有難いんだけど、申し訳ない。なんならもう少しほうっておいてくれていいよ、失礼のないように自分でやるから、と思う。有難い分、ヘンな気も使うし、申し訳なさも相まって居づらくなってしまう。仲のいい友人ほど、適度にほうっておいてくれるよね。それがお互いにとって一番楽だと分かっているから。


過剰なサービスや思いやりは、ひとりの人間の自由を限定することもある。もっと勢いに任せて言っちゃえば、過剰なサービスは、逆に「手抜き」だよ。あれもこれも至れり尽くせり、この場合はこうしてください、と細かく決められたマニュアルほど、自由度がなくなって、居づらくなってしまう。過剰な思いやりやサービスは、それを「する方」の満足だけを考えていて、実は「受ける方」のことをおろそかにしている手抜きだ。自分が受ける立場になって考えたら、よーく分かる。


「バリアフリー」とか「ダイバーシティ」なんてのも、その考えがあるとおもしろいかもしれないなぁ。配慮はもちろん必要だけど、配慮が人を縛ることもある。ちょっと話は逸れるけど、『北の国から』で菅原さん家の文太さんが、カボチャをいっぱいに持ってきた田中邦衛さんに向かって言う「誠意って何かね」は、似ていると思うんだよなぁ。

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