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みんなで、というクリエイティブ

*今年の夏、甲子園を観に行ったときに思ったんだよなぁ。ここにいる人たちはみーんな、真剣に野球を観ているわけではないのだ。酒を飲むために来ているような人もいたり、応援しに来ている人もいたり、データを取りに来ている人もいれば、ただただ趣味で無言で観ている人もいるだろう。そういうさまざまな人たちが集まって、成している群衆が「甲子園」なのだ。根っからの野球好きが集まっている場所では決してないわけで。

「枯れ木も山のにぎわい」ということばがありますが、よくよく考えてみればそうだよね。枯れていても、ないよりはマシなんだよ。そして枯れている木があるから、他の木たちが際立つわけでさ。枯れ木だけでは人は集まらないだろうけれど、かといって一面全部紅葉でも、それはそれで珍しくないわけでしょう。ぜーんぶそのへん真っ赤っかなんだから。

働きアリの話だってそうだ。アリのコロニーでは、2割が必ず働かないのだと言う。働くアリだけを集めたコロニーでも、2割は必ず働かなくなるんだって。逆に働かないアリを集めたコロニーでも、働くアリが出てくるんだって。これはコロニーを無事に保つため、アリにプログラミングされた「閾値の違い」(動こう!と思うまでの刺激の許容量のちがい、とでも言うのかな)により、そうなっているんだそうだ。

けっしてマイノリティを持ち上げたり、できないことが素晴らしい!と言っているわけでもなくて。そこに意味をつけるのは人間の業のようなものだから、そんなもんだよなぁと思うんです。そんなもんだし、そんなもんが素晴らしいんじゃないですか。なんてゆーんだろうな、熱量のある人たちだけで何かをするってよりも、熱量のない人もある人も関係のない人も集まって、何かが行われている方がおもしろかったりするんじゃないかなぁ。「すごく盛り上がってる!」って、実は狭い輪の中だったりすることあるもんね。

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