折り紙ひとつで。

*子供ながらに、少し達観しながらいろんなことを思っていた記憶がある。それは「折り紙」の記憶だ。小学生だったか幼稚園だったかは定かではないが、みんなで遊んでいるテーブルの上に折り紙が置かれ、みんなで折っているときがあった。わーっとみんなが集まってきて、好き好きの色を取っていく。1セット20枚くらいあったのかな。しかし、同じ色は一枚ずつしかないので、早い者勝ちということになる。

ぼくは手先が不器用なので、折り紙はあんまり好きじゃなかったけれど、自分で遊ぶときには「金色」とか「銀色」に手につける勇気がなかった。あんな分かりやすく豪華そうに見える色、取っておきたくなるもんねー。それを、我こそがと先に取っていく子もいれば、それを見越して「私は赤でいいや」と取っていく子もいた。色なんか気にせず折るのが好きそうな子もいたし、そもそも折り紙が嫌いでやりたくないってやつもいた。

なぜだかあのシーンを妙におぼえている。大人になった今、思うのは、ほんっとうにそれぞれなんだ。一枚しかない「金色」をめぐってケンカする子もいれば、本当は金色が欲しいけれどなかなか言えずに青色を折る子もいたかもしれない。ケンカするくらいならと、緑でいいやという子や、白色が大好きな子だっていたよ。折り紙一つで性格なんかと思うけれど、あのシーンは本当に、それぞれの性格が垣間見えておもしろかったんだと思う。

それこそぼくは一人でやる遊ぶときにゃ、金色や銀色には手を付けれなかったし。ただ「好きなのか?」と言われればそうでもなかった。金色に群がる子たちも、ひとり1セットの折り紙を渡したら、金色から折らない子だっているだろうよ。

大人になった今となれば、いろんな対応ができる。金色が好きなら、躊躇なく金色を折れることもあるし、他の色で練習して最後に綺麗に折るために残しちゃいそうだ。本当に金色が好きなら、金色だけの紙をどこかで買ってもいいんだし。ただただ折るのが好きなら、新聞紙やナプキンだっていいわけだ。

あれ、結局何が書きたかったんだっけな。大人になった今なら、金色を好きだって言ってもいいんだぜってことかな。それとも、金色だけを用意することもできるし、折り紙一つでみんなの性格が分かっておもしろいって話だったのかな。好きな色ってなんだっけ、でも普段折らない色紙で折ったら、ちょっと良く見えたりするのも不思議だよなぁってことかも。隣の芝生が青く見えるなら、いま君が折っている赤色は、唯一無二の色なんだぜってことを言いたかったのかもしれない。


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