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経験の奴隷

*「なんでも自分でやってみるほうがいいよ」とは、この時代によく言われる言葉だ。今はいろんな意味で個人の時代になってきたから、こういう言葉が生まれてきたのだろう。言っていることは分かるし、どちらかといえばぼくもそっち寄りの考えだ。でも、なんでもかんでも自分でやれるわけではない。やりたいことだけでもないし、時間やお金の都合で、人に頼めないことだってある。


「自分でできる」しめんどうじゃないことは、自ずからやる。「自分でできる」けどめんどくさいことは、文句を言いつつも自分でやる。「自分でできない」けどやってみたいことは、ひとまずやってみる。「自分でできない」しやってみたいとも思わないことは、お金を払ったりして誰かにやってもらう。ざっくりだけれど、ひとまず、このような方向性が自分にある。


そこから「自分でできるけど、専門家に頼んだほうがいいこと」とか「あえてお願いしてみたいこと」とか「自分でできないしめんどうだけれど、一度はやっておいたほうがいいこと」もあったりするので、分岐は増えたりする。そこに時間やお金も関わってくるから、時間がなければ誰かにやってもらったり、お金がなければ自分でやったりすることもある。


・例えば一昔前までは「男は仕事・女は家事」が当たり前だった。戦後の流れもあっただろうし、そういう時代だったと言える。しかしその風潮は時代と共にメッキが剥がれたのか、ゆるやかに当たり前の形が変化していったのか、今の時代では疑わしいものとなった。そういう風潮を疑ってみることは、意外に大事なことのように思う。疑うというよりも、本当の本当にそうか?と嘘がないかを確かめる感じ、というかね。


ぼくが今、少し疑っているのは「経験したものだけが言える」ということだ。ぼくもどちらかといえば、そっち寄りなんだけれど、本当にそうなのだろうか?とたびたび考えている。お金持ちじゃないと「お金がすべてじゃないよ」って言えないのだろうか。経験にもたくさんあるから、しなくていい経験もあるし、それをしないままに言えてしまうこともあるんじゃないかな。なんでもかんでも体験したやつだけが言えるってのは、外からの影響を全く受けない、閉じた世界になってしまうことだとも思う。

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