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「実力」ではなく「出力」という考え方

*知り合いのアートディレクターの方の研修を受けて、中でも目からウロコな言葉があった。それが「100%の実力ではなく、150%の出力をしてもらえる環境をつくる」という言葉だった。その言葉がスライドで映されたときには、もう真正面から右ストレート一発KOで、その場に倒れ込みたいほどくらってしまった。

「実力」ではなく「出力」なんだと。今までそんなふうに考えたことはなく、出されたものに対してどうか?という部分にしか目が行っていなかった。それは自分が実力至上主義だと自分に課しているからもあるだろうし、実力でしか他人を判断していないというあらわれでもあってしまう。でもよくよく振り返ってみれば、実力が発揮できた仕事のほとんどは「出力」がきちんとできていた仕事だ。それは「出力ができる」環境を整えてくれていた人のおかげだという仕事も振り返るとたびたびある。実力そのものは他人にはコントロールできないが、その人の「出力」に関しては、環境次第で変わるので他人がある程度コントロールすることはできる。

モチベーションとかやりがいとか、そもそも「その仕事に興味があるか?」とかね。もっといえば「この人との仕事なら全力でやりたい」という人間関係だってそうだ。相手に100%以上の出力をしてもらおうと思うなら、相手のことをまずきちんと知って、関係性をつくらなければそれはできない。例えば仕事でカタログばかり作っているデザイナーがいて、でもその人が大の映画好きだったとしたら、映画のポスターをつくる仕事を振ったら、すごい出力でやってくれそうだよね。出力とはつまり「どれだけ手間暇をかけたか」に比例するものでもあるので(実際に手を動かした時間だけではない)、相手の興味関心やモチベーションまでしっかりと把握して関係性をつくってじゃないと、できない仕事だ。

この「出力」という考え方は本当に目からウロコだった。実力だけで仕事をしていたら、それはある一定のレベルにいる人たちとだけしか仕事をしないことになってしまう。そうじゃなくて、出力の機会を与えて、共に上にあがっていくことが大事なんだよなー、と。

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