見出し画像

ありがとうの在庫。

*じつのところ、感謝には、在庫があるんじゃないかと思う。無限に湧き出てくるものではない。何もしていないしされていないのに、感謝できることなんてほとんどない。そう思えば、ひとりでは感謝もなにもないんだね。誰かと生きるからこそ、生まれる感情だ。それを言っちゃあ、ほとんどそうなんだけどさ。

そうだ、感謝も、元気も、怒りも悲しみも、無尽蔵に湧いてくるわけではない。たぶんだけれど、在庫があるのだ。人から「ありがとう」という気持ちをちゃんと受け取ったことがあるからこそ、誰かに対してちゃんと「ありがとう」と言えるんじゃないだろうか。感謝ができない、なんて人がいたとしたら、それはできないのではなく、在庫がないんじゃないか?と思ってみたりもする。

誰にも感謝されず、自分の損得のことしか考えない生き方の人は、他人からちゃんとした「ありがとう」を受け取ることはあるだろうか。もしそんな人がいたとしたら、純度の高い心からの「ありがとう」を、贈れることはあるのだろうか。

「ありがとう」と心から思って、その言葉を口にするとき、そんな言葉じゃ足りない!って気持ちと、その言葉にめいっぱいの心を乗せたい、と矛盾した両方の考えが含まれているように思う。きちんと感謝できるから、感謝されるのか。うれしい感謝を受け取ることができたから、純度の高い感謝を贈れるのか。そのへんは、ニワトリタマゴ。親子丼をかっくっちまえ。

「ありがとう」が在庫切れにならないよう、生きれたらうれしいなぁ。金は天下の回りものみたいに、感謝も、いろんな人の心の在庫を行ったり来たり回ったりして、芋蔓式に増えてったらうれしいね。「ありがとう」に手垢がついてるのが見えたら、ちょっとうれしくなるだろうなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?