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無関係な人との信頼関係。

*ぼくはたいてい、飲みに出かけるときはひとりだ。といっても、馴染みの店に行くことが多いので、先々で知り合いに会って話したりすることはままある。しかしその知り合いとも「飲み屋以外」で会うことのない知り合いで、そのとき、その場所だけでの関係性で、世間話や込み入った話をしたりする。けっこう、そんな時間と距離感が好きなんだね。

ぼくは正直、自分の日常と繋がっていなかったり、ある程度の距離感があったりする人の方が話しやすかったりする。壁を感じるくらいが、心地いいと思う瞬間がある。お互いに壁一枚を隔てていても、仲良くしようとすればできるし、互いにとってイヤな話はしない。友人ですらないからこその、マナーや礼儀みたいなもののおかげで、仲良くできるようなこともたくさんある。

田舎から出てきた人が「田舎はいいけど、生きづらいよー」と言っているのを聞くことはよくある。人も少ない、村社会がゆえの生きづらさもあるし、だからこそ人間同士の関係が、おせっかいなほど豊かだとも言えるだろう。これを都市に言い換えてみれば、隣に住んでいる人の顔も知らないかもしれないが、だからこそ、無関係でいられるからこそ生きやすい、という側面もある。

でもさあ、みんな同じような信頼関係の作り方じゃないんだよね。人間関係なんて、距離感も歴史も違うし、もっと言えば、「おいらとあんた」だけれど、「あんた」の部分には必ず違う人が入るわけでさ。そりゃ、信頼関係の作り方も形も何もかも変わってくるよね。逆に言えば、信頼関係の作り方をひとつしか知らない人は、もったいないよ。そんな人、たぶんいないだろうけど。

WBCの栗山監督と、大谷翔平の「決勝戦を投げるかどうか」のやりとりを知って、そんなことを考えていた。当たり前だけれど、信頼関係の作り方はひとつじゃない。ケースバイケースで、人それぞれで、まだらだ。それが、人と付き合うってことだし、群生動物である人間として生きるってことでもあるんだろうな。


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