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人間の動力源

*人間観察、というほど大層なものではないんだけれど、カフェで仕事をしながら、電車に乗りながら、待ち時間に町行く人を見ながら、たびたび思うのが「動力源」のことだ。そーゆーシーンを見かけると、この人の動力源というか、今充電してるんだなぁとか、チャージしてるなぁとか思うことがある。

例えば、喫煙所だ。喫煙所にはもちろん、タバコを吸いに人々が集うのだけれど、意外にタバコを真剣に吸っている人は少ない。一緒にいる人とおしゃべりをしたり、休憩のようにスマホを触るついでにタバコを吸ったりしている人の方が、実は多いようにも見えるのだ。そのなかでサッと喫煙所にやってきては胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけ(この間、約5秒)、ミリミリとタバコの先が灰になり、ふーっと大きく息を吐き出す。それから何かに追われるようにタバコを吸っては吐きを数度繰り返し、ものの3分ほどで出ていく人もいる。あれはどこか、動力源であるニコチンを補給しているように思えてならない。

電気なんてのもまさにそうで。カフェに行くと、コンセントに充電器を差し、それをスマホに繋ぎ、また別の穴に挿されたイアホンがその人の耳につながっている、という状態の人をたびたび見かける。もし宇宙人がこのシーンを見たら、地球人は「電気を食って生きているのか?」と思うかもしれないなぁ、なんて考えていた。たしかに僕がタイムスリップしてきたら、現代の人たちは「電気」が動力源なのか?と思ったりしそうである。

「お酒」なんてのもまさにそうだし、「恋人」とか「恋愛」がそこに入る人もいそうだなぁ。「ひとりの時間」というのもたしかな動力源だし、もっといえば「睡眠」なんて言わずもがなだ。「褒められた記憶」で頑張れる人もいれば、「怒り」や「悔しさ」が動力源になることもある。人間ってのは、本当にいろんな意味で「雑食」な、さまざまなものを動力に変える生き物なんだなぁ、と思ってね。

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