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ひとりじゃ、やさしくもなれない。

*「やさしさ」って現象や気持ちは、誰かがいてこそなんだね。人がどれだけ「やさしくしたい」とか「やさしくなりたい」と思っても、その相手がいないと、なにも始まらないんだ。電車で席をゆずるにも、席がなくて立っている人がいる。泣いている誰かにハンカチを手渡そうにも、泣いている誰かを必要とする。やさしさは、そうありたい自分だけでなく、相手を必要としてはじめて、生まれるものだ。


そういう意味では「やさしさを受けた側」、つまりやさしくしてもらった側も、やさしさに必要なピースなんだね。人にやさしくされたとき、惨めに感じてしまうこともあるけれど、そう思う人に声をかけてあげたいね。「あいつのやさしさを、引き出したのはまぎれもないアンタだよ」なんて。自分でそう思う人には、そんな声かけてやんないけど。


もし世界でたったひとりの人間だとしたら、やさしさなんて生まれやしなかっただろう。自分の気持ちに正直であるかどうか、という問題でしかなくって、「自分にやさしい」なんてこともなかっただろう。そもそも「やさしさ」という言葉すら、生まれなかっただろうな。心理学者のアドラーが、「人の悩みのほとんどは人間関係である」と言っていたけれど、そんな「人間関係」から生まれたうつくしいものも、たくさんあるよね。もちろんアドラーも、否定的な意味で言ってはないんだけどさ。


「やさしさ」は、人と人との間に生まれるものだ。わたしがいて、そして誰かがいて初めて、成り立つものなんだ。たったひとりじゃ、やさしくすらなれないんだね、人間って生き物は。そして、今も昔も、きっとこれからも、人が人として生きる以上は、悩みと同じようにやさしさも生まれ続けるんだろうな。やさしい人間ばかりじゃないし、やさしいだけじゃ生きられないけれど、今も昔もこれからも、人間はやさしいんだろうな。わるいところや醜いところもあるけれど、人間ってやつは、どうもわるいところだけじゃないみたいだよ。

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