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地動説では動かないもの

世の中には一定数、「自分の常識が世界の常識」だと思っているフシの人間がいる。これ、「常識」ってことばにしたけれど、「考え」や「思想」とか「評価」とか「好き嫌い」、「信じてるもの」だっていいですよ。そういう「自分基準」みたいな、地動説を地でいくような人って、何人か思い浮かんだりしませんか。僕の周りでも、数人います。

あなたの世界では、あなたの考えでいいのだけれど、わたしの世界では、わたしの考えがありますよね。そして、ぼくらが実際に生きている世界は、あなたやわたしのみならず、あいつやあの子、仲のいいあの人や見知らぬ誰かも一緒くたに存在している世界です。その一緒くたに存在している世界では、信じるものも考えも好き嫌いも当たり前のように違います。違うみんなで何かをやるからこそ、めんどうでむづかしくて、それでいておもしろいんですよね。

そんな世界で、自分の考えや信じているものをあたかも当たり前かのように人に伝えても、そりゃ伝わりません。だってそれぞれ違うんですから。自分の信じているものを信じてもらいたいのなら、きちんと説明が必要です。信じてもらいたいのなら、信じてもらうしかないのです。それを省くと、いわゆる「一生のお願いカード」みたいになるんだよなぁ。お前もそうだろ!?って強制になる。そんなわけねぇだろ!って言い返したい瞬間は、人生にいくらでもあったな。

自分の信じているものや考えを相手に伝えたいのなら、大切だと思ってもらいたいのなら、とことん説明が必要だ。それを省くと信用を失くす。信じてもらうための努力はサボっちゃいけない気がする。人生って、誰かの何かをちょっとずつ信じてみたり、私の信じているものを、誰かにちょっとずつ信じてもらうことの繰り返しな気がする。何を信じてるか、何を美しいと思うか、そんな大雑把で素材のままのテーマで話そうとは思わないけれど、そんな話をしていたいよなぁ、ずっと。


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