いいものと出会う。見つける。

*ひょんなご縁から、ある詩人の方の詩集の編集とあとがきを担当させていただくことになりました。その詩人の方は先月若くして急逝されて、今回出版する詩集が、遺集になります。直接お会いすることは叶わなかったけれど、その方が遺した詩作品を通して、考えておられたことや書きたかったこと、思ったこと表現したかったこと伝えたかったことをどうにか汲み取ろうと考えます。いや、それ以前に本当に素晴らしい詩たちなんです。語弊を恐れずに書くと、亡くなられたことがきっかけで、ぼくはその詩たちに出会うことができたんです。

・いいものが、まだまだたくさんある。ぼくが今までに見つけたり、教えてもらったりしたいいものはもちろん、まだ出会えていない「いいもの」が、まだまだたくさんあるのだ。「いいもの」はこの瞬間にも生まれていて、生まれようとしている。「いいもの」が、これからもたくさん生まれる。それは「いいもの」を生もうとしている人がいるってことだ。いや、どうにかこうにか生んだものが「いいもの」になることだってあるな。それにしたって、きっとこれからもどんどん、「いいもの」は生まれていく。「いいもの」を生もうとしている人がいる限り、「いいもの」は絶えず生まれていくだろう。

そんな「いいもの」とこれから出会えることが楽しみで仕方ない。まだ見たことのない「いいもの」と、生きていれば出会える可能性がある。それはなにも新しいものだけじゃなく、古典や昔のもののなかにも存在している。有名なものでなくとも、名前も顔も知らない無名な誰かの日記帳が、わたしにとって「いいもの」たりえる可能性だってある。そんな「いいもの」をつくっている、つくろうとしている人と出会えることも楽しみのひとつだ。

願わくば、ぼくもその「いいもの」をつくる一人として加担したいし、ぼくのつくるものが「いいもの」だったら、うれしいだろうなぁ。ことば遊びのようだけれど、「いいもの」って、いいんだよ。

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