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それぞれのうつくしさ

*昨日、手伝っている会社の後輩と飲んだ。彼女は会社の中でも唯一気が合うメンバーで、僕が話すといつも誰より早く頷いてくれる。いわゆる、相性がいいのだ。同じプロジェクトを持っているが、わりと阿吽の呼吸で物事を進めてくれる。

つい先日、会社のメンバーに「自分の哲学とか大事にしていることって何ですか?」という質問を投げた。その場では誰一人帰ってこなかった。あるけれど黙っていたのか、なかったのかは分からない。彼女は昨日、「あれずっと考えてて、まだ出来事でしか言えないんですけど」と、サンリオピューロランドでの出来事を語ってくれた。

サンリオピューロランドのフードコートでは、キャラクターと一対一でご飯を食べれるそうだ。そのキャラクターと一緒にご飯を食べている写真を撮りたいがために、数十人の人が並ぶ。もちろん女性がほとんどらしいのだが、その中にひとり、中年男性が紛れ込んでいたらしい。

少し恥ずかしそうにしながら、でも女性の中に紛れて並んでいた。彼女の友人はそれを見て笑ったらしい。でも彼女には、そのおじさんがとても美しく見えたそうだ。あんなふうに自分の好きを貫けるっていいな、カッコいいなと思ったそうだ。それめちゃくちゃいい話だね、と言いながら僕はハイボールを煽った。何が一番良かったかって、その話をしながら彼女が涙していたのだ。何の涙かは分からんが、でもその涙もよかった。

人それぞれ、自分が思う「うつくしさ」がある。自然の絵を描く画家は、自然にうつくしさを見出すのだろう。数学者は数式にうつくしさを求めたのだろうし、機械や部品にうつくしさをおぼえる人もいる。彼女は、あのおじさんの姿にうつくしさを見出した。ぼくもぼくなりのうつくしさがある。そのうつくしさを追い求めたり、つくったり、たくさん感じたいがために生きているのかもしれないと最近は思うようになった。うつくしい瞬間が好きだ。うつくしいものに出会えたとき、人生の半分くらいは肯定された気になってしまうのだ。


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