不安や恐怖は失くならない。

*不安や恐怖は人生についてまわる。むしろそれがないなんて人は、生きていたらけっこう危ういんじゃないかと思うほどだ。不安や恐怖を失くそうと動いても、動けば動くほど付きまとってくるものだったりする。ここらはいっちょう、「不安や恐怖はなくならない」と決めて、対処していくのが吉だ。

不安がなかったら、きっと練習なんてしないだろう。恐怖がなかったら、それに備えようとも思わないだろう。恐怖や不安のいっさいがない状態を仮に「ノンストレス」と呼ぶのだとしたら、それは危険だ。ぼんやりしていたらあっというまに絶滅してしまうのは、歴史を勉強したことのあるものなら、頭では分かっている。

だからといって、不安に支配されてしまってはいけない。それはほとんど「何もしていない」ことと同じで、不安におんぶされているようなものだからね。不安をおんぶして、千鳥足でもえっちらこっちら歩くほかない。恐怖も、言わずもがな、それらに心が埋め尽くされてしまっては、たいていの人は身動きが取れなくなってしまう。

毒も正しく扱えば薬になるように、適量が大事なのだ。自分にとって怠けない程度の不安と、心が侵食されない程度の恐怖を上手に扱いながら、二人三脚(この場合は、三人四脚かな?)で進んでいく。スピードは二の次、どれだけ進めたかより、まずは進んだかどうかだ。

そのためのコツってのがあるんだとしたら、「仕分け」することなんだろうね。解決できることと、解決できないことを仕分けする。自分にとって適量となるよう不安や恐怖を小分けする。てっぺんが見えない山であろうと、一合、二合と進んでいけば、そのうち山頂は見えてくる。体力がないなら体力をつける、準備が必要なら準備をする、どれだけ小さくてもいいから「いまできること」を見つけては、それをこなして、また見つけて、こなしていく。天才のマネは凡人にはできなくとも、これは凡人ができることなのだから、天才がマネしてもできる万能なやり方だと思う。

不安を理由に動かないのも、恐怖で身動きが取れないのも、大仰に言ってしまえば怠惰だ。それらをしっかり見つめて、対処して小分けして、ひとつずつやっていくほかない。引き返したっていいじゃない。上手くいかなくても仕方ない。ただその場で足踏みしていても、景色は変わらないのだから。


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