労働後のビールがウマいわけ。

*きのうは、海の近くの塩屋という街に行った。先日飲み屋で出会った方がその街でギャラリーを営んでいるというので、塩屋に住むお姉さまに案内してもらいながら、坂道だらけの街をえっほえっほと歩いた。寒かったけれど、すぐに暑くなるどころか、汗だくだったけどね。あの街に住む人は、みんな健康そうだなぁ。さんぽが、ちょっとした登山くらいあるもの。

塩屋は特に坂が多い街で、上からけっこうな勢いで何かが転がってきそうな傾斜の坂を、えっほえっほと歩く。運動不足の身体には、なかなかキツい仕打ちだ。しかしそのぶん、登って見える街や海の景色は格別だった。この景色をまいにち見れるなら、ちょっと住んじゃったりしてもいいなぁと思うほど。

たとえば、この景色を、あんなにがんばって坂道をのぼらず見たとしたら、ぼくは綺麗と思っていただろうか。思っていたとしても、ここまで感動していただろうか。答えはノーだ。いいなぁとまでは思っても、きっと今ほど感動してはいないはずだ。

それはなぜかって、分かり切ってる通り、この坂道をえっほえっほと登ってきたからに他ならない。富士山のてっぺんからの景色は、足で登っても、ヘリコプターで上がって行っても「もの」としては一緒かもしれないけれど、見る側の「心の吸収度」が段違いだよ。より綺麗に思えるのは、まちがいなく足で登った人だろうな。

「労働後のビールがウマいんだよ」というのも、同じ理屈だ。ビールの味そのものが変わるわけじゃない。疲れているから、しっかり働いた後だから、ウマいのだ。平日からダラダラしながら飲むビールもそれはそれでウマいけど、やっぱり格別だものな、働いた後のビールって。

勘違いしてほしくないのは、「がんばったから、ウマい飯にありつける」というわけじゃないし、そんなことを言いたいわけでもない。がんばったからといって、めしにありつけないことは往々にしてある。そうじゃなくって、その「がんばり」ってやつは、めしを上手くするスパイスなのだ。ご褒美をもらうために頑張るのではなく、頑張った結果、ふつうかもしれないものが、ごほうびになるんだよね。


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