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10年間、同じ美容室に通い続けている

*もう10年近く、同じ美容室に通い続けている。18歳までは坊主だったので、それ以降、当時住んでいたところの近くの美容室に今でも通い続けている。今では電車で1時間近くかかる。とくにその美容室は有名なわけでも、特段カットが上手いわけでもない。というか他に行ったことがないので上手いのか下手なのかすら測りようがない。ただ新しいところを探すのが面倒で、かつどこか浮気をしているような気分になるので、仕方なく通い続けている。

10年間も通い続けると、店主とも特に話すことはもうない。お互いの趣味や好きなものについてもほぼ語り尽くしている。近況報告をダラダラと1~2時間かけて話したり、本を読んだり、それはもう実家のようにテキトーに過ごさせてもらっている。店主も店主で、僕のパーマを当てている間に領収書やレシートの整理に勤しんでいる。熟年夫婦のような関係性だ。

ただ先日、ふらっと店主が話してくれたことが印象的だった。「俺さ、父親がニガテでさ」と何の脈絡もなく話し出した。その事実も初めて聞いた。「父親が心筋梗塞で一度倒れて、一命を取り留めたことがあって。そのときも何とも思わなかったんだよ。ストレッチャーで父親を運ぶナースのブラジャーが透けててさ、そればっか見てたんだよ。そしたらさ、親父が病室で目を覚まして、母親が看護師を呼びに行ったときにさ、親父は第一声で、さっきのナース見たか?ブラジャー透けてたろ。しかも豹柄だぜ、って言ったんだよ。その一言でさ、なんだか父親のことを嫌いになりきれなくてさ」

彼はチャキチャキと鉄が擦れる音を僕の耳元近くで響かせながら、その冷たい音のように淡々と話した。自分の一部を断ち切られながら、僕も「良い話っすね、それ」なんて返していた。どんな陳腐な名言よりも、圧倒的に良いセリフだと思った。10年間通い続けてもまだ知らないことばかりだ。人と人なんて、ずっとそんなものなのかもしれない。


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