その警鐘を鳴らしているあなた。

*普通に、それなりに一生懸命仕事をしたりサボったりして生きているおおぜいの人たちが「おかしい」とか「まちがっている」とか「気付かなきゃいけない」といった言葉で責められるようなことは、ぼくはやっぱりヘンだと思う。きっと責める側の人は「多数である普通の人たち」が変わらなければいけないと言っているのだろうけど、それにしたって、責めるのはお門違いだ。ぼくは怒りっぽいから言わせてもらうが、どうして自分の生活も家族も仕事も心のうちもちっとも知らないようなやつに、ぼくの普通の生活を責められなきゃいけないんだ、とまで思う。

それに、そんな警鐘にいちいち耳を傾けてしまってちゃあ、それこそ人生がいくつあっても足りない。傾けるほど時間も余力も、すこし過激なことばで言えば「興味」がないのも事実なのだ。さらに言わせてもらうなら、そうやって警鐘を鳴らしている張本人も、他の鐘の音には耳をふさいだり、聞こえないふりをしているはずだよ。そんな時間や労力がないのだから。

どの問題も大事なのかもしれない。私たちの手で解決すべきなのかもしれない。けれど、それにしたって、その真偽を調べるのにも、取り組むのにも時間がかかる。すべての問題を、すべて調べて勉強して、正しく判断できる人間なんて、いない。「すべて大事ですね」とコメントするのさえ、たいへんだ。だからこそやっぱり、ぼくは「おおぜいの普通の人たち」が責められるようなことは、ヘンなことだと思うのだ。奮い立たせるならまだしも、ね。

実際に、ぼくも2016年の熊本地震では、その警鐘を鳴らす側にいたんだけどさ。贖罪のように言わせてもらうなら、やっぱり「おれはいいことをしている」って思いが助長させていたんだよなぁ。いいことをしていると思ったとき、歯止めが効かなくなるのは、けっこう怖いものなんです。だからこそぼくは、吉本隆明さん、もとい親鸞聖人がおっしゃった「いいことをしているときほど、わるいことをしているつもりでいなさい」ってことばを、心の奥底に忍ばせている。


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