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連詩遊び。

*京都のペルガグさんの店主に教えてもらって、よく遊んでいた「連詩遊び」を、最近はミュージシャンの友人たちと月に1回程度やるようになった。「連詩遊び」というのは、紙を蛇腹に折って、上から1行ずつ詩を書いていき、自分が書いたところから上の部分を折って見えないようにして、次の人に回す、という遊びだ。つまり、毎回、新しい行に新しい詩を書くことになる。前の行には何が書いているか分からないまま、この後に何が書かれるのか分からないまま、思ったことや詩を連ねていく。

ぼくはもう、10回ほどやっているのだけど、この遊びの面白さのカラクリというか、パワーが少しずつ分かってきた。この遊びは、ひとりひとりのポテンシャルが高いからどう、という遊びではない。「場」の遊びなのだ。ひとりひとりが良いことやそれっぽいことを書こうとするよりも、「場」を意識して、盛り上げようとしたり察知しようとしたり、空気をつくったり壊したりしていくことが醍醐味の遊びなんだ、と気付く。

最終的に書き終えたら朗読をしていくのだけど、作品としてよりクオリティが高いのは、一文一文が持つパワーではなく、全体の流れや完成度なのだ。で、もちろんこれは打ち合わせをしていないし、前の文章も見ていないのに、なぜかところどころ繋がっていたり、季節感が合っていたり、同じ単語を使っていたりするようなことがたびたびある。前後の文章が同じ人が書いたかのように繋がっているときもあって、そういうときに観客のぼくたちは「うおお!」とついついテンションが上がってしまう。

わかった。これは、個々人も大事だけど、それ以上に「場」の作り方を意識した方がおもしろいかもしれない。流す音楽、席順、座り方、それまでの関係値だったり、新しい風を入れることだったり。むしろ、みんなの書いているものを察知してみよう、とか、あの人に照準を合わせて書いてみよう、なんてやってもおもしろいかもしれない。

で、場作りだということは、場にいるみんなの手柄で、みんなにやることや役割があって、みんなでよろこべるということなんですよね。更に言えば、場にいる人間を取っ替えても、成り立つようにできるかもしれない。ちょっと、ここで場の実験をやっていきたいなー。


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