見出し画像

人に、光を当ててみる。

*「光」は、秒速30万キロメートルという想像もつかない速度を持っている。今、ぼくたちが見ている光は、その速度で、どこかから届いたものだ。例えば、太陽の光は、地球に届くまで約8分の時間を要する。つまりぼくたちが見ている太陽は、8分前の太陽ということだ。そう思うと、「光」というのはすべて過去のものなのである。どれだけ近くで光を見たって、それは「距離÷秒速30万キロメートル分」前の光なのだ。

月の光は約1.3秒前。テレビは、0.000000001秒前。仮に、目の前にいる人が笑ったとしても、それは「距離÷秒速30万キロメートル分」の時間を要して、僕の視界へと届く。ぼくらの目が、光を通してものを見る以上、ぼくたちはあらゆる「過去」を見ていると言うこともできる。

それを、人に当てはめて考えてみるとおもしろいかもしれない。今輝いているように見える人は、たった今この瞬間に放っている光で、輝いているわけじゃない。数秒前、数分前、数時間前、もっともっと前の時間の光が、観測している人たちに今届いている可能性があるんじゃないか。だとしたら、「下積み」とか「修行期間」とか呼ばれた頃に磨いた光が、今のその人に、遅れてやってきているだけなのかもしれない。

「あの頃は鳴かず飛ばずでした」なんて成功した人のインタビューでよくあるけど、そんなわけがないもんね。結果が出ていなかっただけで、鳴こうとしていたし、飛ぼうとしていたはずだ。その「鳴こう飛ぼう」があったから、今があるはずなんだし。それを無かったことにして、今を語ることができないのは、本人がよーく知っているはずだ。

それを逆に考えてみよう。今、していることが近い将来、光へとなりえるかもしれない。いま、光り輝いていないと思う「今」が、実はもっと先で光として観測されるかもしれない。もっと考えをズラせば、この光は本当に自分が放っている光だろうか?というのもあるね。「親の七なんちゃら」ってことわざもあったりするし。

「光」って、ほんと不思議だなー。光ろうとしているから、光ってるのだと勝手に思ったりもするしね。例えば月は、自ら光っていないしね。色は混ぜたら黒くなるけど、光は重ねれば重ねるほど、透明に近づくって言うしね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?