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入り口と出口の話。

*「家に帰って、ゴミ箱をのぞいてみてください。ゴミ箱の中と、あなたの身体の中はほとんど一緒ですよ」
いつだったか、どこかのお医者さんに言われたセリフだ。ハッとどこか怖いものに気付いたような感覚になった。のぞかずとも分かるし、言いたいことも即座にわかった。野菜の切り屑、お菓子の袋、いろんな食品や荷物のゴミがゴミ箱には当たり前に入っていて、それらがぼくを形作っている。

食べると自分の血肉になるから分かりやすい。しかし、それだけじゃないよね。「情報」だってもはや、自分が摂取している栄養だと言ってもいいだろう。目から耳から手から流れ込んでくるいろんな情報をもとに、ぼくらの頭や心は考えたり思ったりをしている。そう思えば、情報というのは、心や頭の栄養だと言ってもいいかもしれない。

しかし気を抜くとさ、うっすい鉄の一枚板からしか情報を摂取していなかったりするときがあるんだよなぁ。スマホやパソコンの画面から流れてくる第二次以降の情報でしか栄養を摂取していないことがある。それが悪いとは言わない。ただそんな日が続くと、「書きたい」ではなく「書けるぞ」といったネタ的なものを書いてしまうことが多くなる。

「書けるぞ」と「書きたいな」はちょっとちがう。「書けるぞ」のほうはネタ的な考えであって、「書きたいな」は文字通り衝動であり、自分の希望だ。そこに気持ちが入るんだよね。こうも毎日書いていると、やっぱり「書けるぞ」でスタートすることもたくさんあるんだけれど、それが続くとなかなかピンとこない。おもしろくないのだ。そこに気持ちを吹き込むことはなかなかむづかしいのだから。

アウトプットがなかなか出てこないとき、アウトプットの仕方を変えたりしようとしちゃうんだけど、本当はインプットの時点でいいものを得られていないってことが多いんだよなぁ。ろくにいい栄養も与えないのに、いいものが育つわけがない。自分の出口よりも、入り口を考えてみる方がよっぽど有意義だよなぁと、出口であるゴミ箱を見ながら思ったのでした。


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