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生活の足し

*「生活の足し」ということばがある。これひとつで意味を成す言葉ではないので、「生活」と「足す」という二つの単語から成り立っているわけだ。ふと喫茶店でこのことばが耳に入って、「生活の足し」っておもしろいなぁと思ったのだ。


「これ、生活の足しにしなさい」なんて言われて、お金を受け取ったりするなんてこともあるかもしれない。「生活の足しだと思って、絵を買ってね」とかもありそうだ。「これっぽっちじゃ、生活の足しにもなりません!」とかもね。


「生活」とは、文字通り「生命活動」を指しているわけじゃないよねえ。生命活動ということばのイメージには、もっとぼくらの知りえぬところの動きがつきまとう。心臓が勝手に動いていることだとか、寝ている間にも呼吸をしていることだとか、食べて寝ることだとか。生活ということばの元となっている「生命活動」は、勝手に生かされているくらいのニュアンスが含まれている。


しかし、実際にぼくらが使う「生活」はそうじゃない。何を食べるかだとか、どんな時間を過ごすかだとか、どんな仕事をして、どんな人と会って、どんな話をして、どのように生きるか。そんなふうな大雑把で自分で変えられる範囲のものが、ぼくたちの「生活」だ。


でね、その「生活」の「足し」なわけですよ。まず「足し」なわけですから、不足分を埋めているようなことではないんですよね。ニュアンスで言えば、今の生活に足すわけだから、ちょっとした「ぜいたく」に近いのかもしんない。そう思えば、生活の足しってことばは、すごくいいことばに見えてきたんです。


なんてことを書いてたら、家に帰ったら玄関に門松が飾られてました。これも、「生活の足し」だよなぁ。

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