好きなものを見つめるまなざし。

*やっぱり「好き」っていいなぁ。ここ最近はまるで日課のように「好き」について考えている。好きなものについて語っている人の話は面白いし、何よりそのまなざしがいい。純度の高いそのエネルギーをお裾分けしてもらった気持ちになる。あらゆる表現は「慰め」だと、ぼくはここで何度も書いたことがあるけれど、その源泉はやはり「好き」という気持ちがあるように思う。

「好きって何だ?」とか「あの人ほど好きになれない」とか、そんな考えは後回しでいい。そんなものは縦置き横置き、お蔵にでも入れちまえ。それよりも、最初に感じた「好き」を大切にしたり、育んだり、新たに見つけたりすることの方がよっぽど大事だぜ。自分のことを神棚に上げるような発言で、モーしわけないけど。

自分にとっての「好き」を見つけるのは、人生で与えられた宿題の一番初めのページのように思う。いくつになっても好きはたまらないが、とくに若い人、どんどん好きになろう。好きなものを見つけよう、好きな人をさがそう。見つからなかったりするなら、手っ取り早い裏技を教えよう。それは、好きな人の好きなものを、好きになってみることだ。

好きな人の好きな気持ちを借りてくるようにして、おなじように好きになってみる。べつに、好きな人じゃなくてもいいよ。てておやでも、おかーちゃんでも、姉貴でも隣に座ったオッチャンのでもいい。誰かの好きを借りて、好きになってみよう。好きと出会えるきっかけは、そこらじゅうにある。好きってのは、探せばそこらじゅうにあるんだ。そんな眼差しは、世界を見渡せばいくらでも見つかるんだから。

好きなものの絵を描こう。好きなものについて言葉を尽くしてみよう。好きな人に会いに行こう。好きな歌を歌おう。好きな料理を食べよう。「好き」が詰まったものは、巡り巡ってするもっと手前で、近くにいる人をすこしだけ幸せにする。たったそれだけのことだったんだよ、きっと。


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