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ギャルの時代

*さいきん友人たちと話していて、なぜかもっぱらテーマに上がる言葉がある。「ギャル」だ。「ギャル」なのだ。仕事の話していても、不真面目な話をしていても、なぜか最近「ギャル」がクラスの中心に君臨するように、話題の中心にくる。いま、ぼくの周りでは、いや地球では「ギャル」が流行っているのかもしれない。

今日も知り合いのアートディレクターと「心の中にギャルを棲ませたい」という話になった。ギャルは「凹まない」というイメージ(偏見)を持っているからにほかならない。何を言われても鋼の精神でものともしない。落ち込んでたら独特の方法で慰めてくれる。というか気にしないでくれる。そんなギャルを心の中に棲まわせたい。もしくはマツコデラックスでもいいかもしれない。

この前、大阪環状線に揺られていたら、ミニスカルーズソックス(この時代にもいた)ギャル二人組が扉にもたれかかってスマホをいじり倒していた。するとギャルAがスマホを見ながら「前髪切ろうか迷ってんだよねー、どう思う?」とギャルBに問いかける。ギャルBは眉ひとつ動かすことなく「わかるー」とだけ言った。「わかる!?」と僕は思わずギャルを凝視してしまう。ギャルAは「だよねー、てかさ、炊飯器ってマジで神じゃない?」とものともせず別の話題に切り込んでいた。ギャルよ。

あとやっぱりギャルのいいところは「否定」をしないんだよなぁ。必ず「それいーじゃん」と包み込んでから、自分の意見を述べる(イメージ)。それって、フィードバックのお手本だよねー。なんか最近は、みんながギャルになってブレストする「ギャルブレスト」なる手法もあるらしい。ギャルの時代の足音が聞こえる。というより、時代がギャルに追いついてきているのかもしれない。

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