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遺影を撮りにいく誕生日

*さて、私事ではありますが、本日で29歳になりました。歳を重ねてくって、重ねれば重ねるほど本当に一瞬なんだな。28歳の誕生日も、本当についこないだのように思ってしまう。うかうかしていたら、うかつに歳をとる。一歩一歩のあゆみをきちんと踏みしめていないと、と毎年思うのだけれど、できたことなんて一度もない。きっとこれからもうかつに一年が過ぎ、うかつに歳をとっていくのだろう。

数年前から、もう「若い」というだけで可愛がられなくなった。その予感はすでに20歳の頃からあったから、分かってはいたがちょっとキツい。若さを言い訳に失敗しにくくなったと思う。29なのに実力がない、と言われれば本当にそうなのだ。持って生まれた才能で食えるのは、よくて20代までだ。それからは歩みがものを言う。みんな努力を隠したがるので、なかなか本当のことを言ってはくれないが、実際にそうだと思う。自分が尊敬している人は、よくよく聞けばちゃんと努力している。それ抜きで実力もやさしさもつけようなんて、甘ったるい。もう甘すぎるものは苦手になってきた。

「30歳の誕生日当日に何をしていたかが、その人の人生をあらわしている」なんていうデタラメな法則を聞いたことがある。デタラメすぎて、誰の何の本で読んだのかは忘れてしまったけれど、なぜか妙に納得したのを憶えている。ちなみにたしか、その質問をされたさくらももこさんは、美容室で髪を洗ってもらっていたと答えたそうだ。たしかにちょっと、さくらももこさんっぽい気がする。

誕生日は小さい頃から苦手だった。祝われることに慣れない、気を遣ってしまうのだ。そんな僕は一年前の誕生日から、当日は遺影を撮りにいくことにしている。どんな遺影にしたいかは、実は数年前から思いついていて、それを誕生日に撮りに行こうと決めた。毎年更新される遺影。これでいつ死んでもいい、なんてことは思わないけれど、誕生日を過ごすことが少しラクになった。今年も今日、近くのある場所で遺影を撮りに行こうと思う。来年の30歳の誕生日に何をしているか、遺影を撮りにいくってのも、なんだか僕らしい気もすれば、まだまだ僕らしくない気もするな。


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