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とくに理由がないこと

*よく駅前なんかで、「鍵屋さん」と「靴直し屋さん」が一緒になっている店舗ってあるじゃないですか。しかもあれ、わりとどこの店でも、鍵と靴が一緒になった形態で営業をされていますよね。もしかしたら関西だけなのかもしれないけれど、僕の知る限り、駅前のああいう店舗ではセットのように「鍵と靴」がある。この2つが、どうしてセットで営業されているか、知ってます?

友人と一緒にその話を聞いたところ、「とくに理由はない」んですって。べつに鍵を修理する技術が、靴直しに応用できるわけでも、靴直しに使う道具で鍵を治せるわけでもないそうだ。ただそういう形態で始めた店舗があって、そこからなぜか広がるようにして、鍵と靴がセットのようにして営業されるようになったんだって。この「とくに理由はない」という話を聞いて、僕はなんだかいいなぁと思ってしまった。

思えば、世の中のほとんどは「理由のあるもの」だらけだ。これとこれをセットにする理由はあーだとか、こうしたらより儲けがでますよだったりだとか、もちろんそういうのが必要なのは分かる。でも、そうした「理由」とは外側のものがある面白さってのもあるじゃない。そういうのがなくなって、世の中のすべてが合理性で回収されてしまったら、本当におもしろくなくなっちゃうよなぁ。これも、おいらが個人だから言える綺麗事かもしれないけれど。

学生の頃、席替えで隣になっただけの人を好きになったりしたこと、あったじゃないですか。ああいうのだと思うんですよ、理由なんてないし、いらない。ただそれを求められる風潮ができてしまって、膏薬のように理由を引っ付けなくちゃならなくなったんだけど、それはそれでさみしいよなぁ。もっと「鍵と靴」みたいなセットが、世の中にどんどん増えていけばいいと思う。パン屋の中に薬局があったっていいし、タバコ屋さんでサンドイッチが売られてたっていいじゃない。よくよく考えれば、映画館にポップコーンも、たいして理由はないのに流行った例のひとつだと思うんだよなぁ。

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