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「突然」を「待望」に変えるため
*「チャンス」というものは、きっと誰にでも平等にやってくる。立場や関係によって、チャンスが舞い込んできやすい場所や時期というのもあるのかもしれないが、人生のうちにチャンスがやってこない、ということはないんじゃないか、と仮定をしてものごとを考えてみることにする。
僕は高校まで野球をやっていたんですが、まさに野球でもそうだった。「試合が終わるまでに3回、必ずチャンスが来る」というのは、当時のコーチの教えだったが、この感覚はよく分かった。目に見える「一打逆転のチャンス!」みたいなことではなく、「ここで試合が動くぞ」という、チャンスのタネみたいなものが、どれだけ展開の少ない試合の中でも3回はあったのだ。正直、僕はその瞬間を嗅ぎ分ける嗅覚みたいなものは、チームの中でもすぐれていたような気がする。
そうだ、チャンスはわりあい平等にやってくるものだ。そう考えると、平等に、そして突然に舞い込むチャンスを、ちゃんと「チャンス」にできるかどうかのほうが重要なのではないか。そう考えると、チャンスがやってきたときに、どのようにそれを掴むか、チャンスがやってくる前の動きの方が大切なのかもしれない。
チャンスはいつだって不意に、突然にやってくる。何をしてても絶好調なときにやってくるかもしれないし、どん底の時期にやってくるかもしれない。そこはコントロールできないのだとすれば、必要なのは「準備」だ。チャンスがやってきたそのときに何の準備もできていなければ、それは「突然」のまま姿を消してしまう。だから日々から準備が必要だ。日々のあらゆる準備は、不意にやってくる「突然」のチャンスを「待望」に変えるためにある。
ふいに、突然にやってきたものを、いかに「待望」に変えられるか?が日常の仕事なんだろうなぁ。そんなこと言ってても、なかなか準備できてないのが自分なんですけどね。でもそこをサボってたら、せっかく来るチャンスをふいにしてしまう。それだけはやだなぁ。竹原ピストルさんの「人生に勝ち負けなんてないんだ、確かにそうかもしれない。でもぼくは人生に勝ち負けなんてないんだという人の人生に心を動かされたことは一度たりともない」って歌詞が、おれは好きなんだよなぁ。
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