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他人の成長日記

*お手伝いしている会社で、半年前に初めて「部下」なるものができた。プロジェクトも被っていて、お互いに業務委託での外部の人間だったこともあるが、それ以上に人としての感覚や大事にしたい部分などが重なることもあり、非常にやりやすかった。歳は5つほど離れていたし、僕も先輩ヅラをしたいわけでも、そもそも「先輩」としての立ち居振る舞いなど分からないので「上司・部下というよりも、横一線でお互いに足らない部分や指摘したいことがあれば教えて欲しい」と、部下的な関係性になった初日に喫茶店で話したことをおぼえている。

それから半年ほど経って、彼女は今月で留学のため会社を離れる。昨日、個人的に「追い出し会」をやった。普段、仕事終わりに飲みに行ったりお茶したりするときは、僕たちは基本的に仕事の話は一切せず、お互いの最近のホットトピックや、大切にしたい価値観の話ばかりしていた。昨日もほとんどそうだった。どんなときにさみしさを感じるか?という質問に彼女は「家族ですね、家族といるときにさみしさを感じます」と芯の通った答えを返してくれた。少なからずその背景の一部を知っている僕にとって、その答えはものすごく誠実な答えだった。

半年間、彼女のポテンシャルやステップアップを考えて、自分なりに教えれる部分は教えたつもりだ。実際、彼女はめきめきと成長して、今では担当しているプロジェクトを任せれるほどになった。それはひとえに、彼女の素直さとポテンシャルのおかげなんだろうけれど、それでも上司として鼻が高い。明らかに組織内でも頭2つは抜けたし、信頼できるメンバーに育ってくれた。僕自身、自分がいい上司だと勘違いしそうになるほどだ。それも、彼女の優秀な後輩力なんだろうと思う。

「人を育てる」ことに興味なんざ1ミリもなかった。今でもない。他人の成長にコミットできるほど余裕も暇もない。自分の成長にしか興味がない。それでも彼女が育ってくれたのは嬉しかったし、「烈さんだから一緒にできました」と言ってくれたのは嬉しかった。僕自身、彼女から学ぶこともたくさんあったし、上司としての責任や立ち居振る舞いもたくさん考えさせられた。今なら人を育てることは、本質的に自分が育つことなんだなと分かる。それでも他人の成長に興味はないけれど、彼女の成長は自分のことのように嬉しく思った。自分の大切にしていることを、1ミリでも同じように大切にしてくれる人って、こんなにも信頼できるんだな。彼女はこの会社から飛び立つけれど、もし自分が会社を立ち上げたら一緒に働きたいと思っている、と告げたことは、ここだけの秘密にしておきたい。

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