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初めて会うのに懐かしいもの

*学生時代の友人がグラビアアイドルになっていたことを、深夜のコンビニで知った。縦置きされた雑誌のひとつに、見覚えのある顔と、見覚えのない身体がでかでかと印刷されていた。その学校では、僕の唯一の友人だった。頻繁に会うわけではないが、ちょうど二年前に会ったときには、美容関係の仕事をしていたはずだ。

それから彼女は瞬く間にあらゆる雑誌の表紙を飾り、徐々に有名になっていった。そして徐々に、布面積が少なくなっていった。どこまでいくんだろう、と思っていた矢先、そんな彼女から連絡があり、お茶をすることになる。

結論から言ってしまえば、あの頃の彼女はもうどこにもいなかった。見た目から中身まで、部品を取り替えたように別人になっていた。いつでもどこでもジャスミンティーを好んで飲んでいた彼女は、昼過ぎからシャンパンを頼み、きらびやかな芸能界の話ばかりを口にした。すきあらば、俳優との夜の話を差し込んだ。二つ結びで、屈託のない笑顔をしていたあの頃の彼女は、どこかへ消えてしまった。懐かしさなど、どこにも感じなかった。

反対に、見たことも聞いたこともないはずなのに、なぜか「懐かしい」と思う瞬間が人生にはたびたびある。それは好きな人と交わした会話だったり、旅先でふらりと訪れた定食屋だったり、退屈な映画のワンシーンだったりする。

年齢のせいか、ここ最近、「懐かしい」という感覚が異様に好きだ。それはいつかの「今」を思い出す行為で、長く生きれば生きるほど「懐かしい」の総量は増えていく。人生においてのログインボーナスのようなものなのかもしれない。

レコードでも映画でもインテリアでも何でも「古いもの好き」が新たなファッションになりつつある気がしている。もちろん古いものもいい。僕だって好きだ。でも、ミーハーや流行り好きといった「今」をふんだんに味わっている人も、僕はまーまー好きだ。そういう人の方が、より「懐かしい」というご褒美のような感情を、人一倍味わえるような気さえしている。ちゃんとミーハーでありたいし、流行に振り回されていたい。その先で、たくさんの懐かしいと出会いたいのだ。


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