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プラダ着てても心は錦。

 目の前で金髪の女子高生が髪を掻き上げていた。稲穂色をした髪の隙間から白いうなじが見える。「エロスは境界線に宿る」と言ったのは誰だったろう。ホテルでも風俗でもなく、コンビニのATMに僕は並んでいた。女子高生が友達と電話をしながら、手元の機械を器用にいじくっている。


「あそこはダメ、タバコ吸えないから。地下の喫茶店にしよう」
女子高生がためらうことなく口にする。タバコを吸うのは構わないが、その格好のままで大丈夫なのだろうか。そんなことを背後で心配しているうちに、ガガガガッとお札を揃えている音が鳴る。出てきたお金を財布にしまうこともなく、女子高生は颯爽と去っていく。画面にはまだ女子高生の預金残高が表示されたままだった。


 その数字を見て、僕は二度驚く。画面には見たことない数の「0」が並んでいた。驚いて計算すると、ゆうに一千万円を超える数字だったので、さらに驚く。いったい彼女は何者なんだ。本当に女子高生なんだろうか。僕が知らないだけで、最近の流行りは貯金なのかもしれない。

 僕はそこから、さらにもう一度驚く。入り用のお金を下ろし、久しぶりに貯金残高を確認したら、一桁万円になっていた。最近、仕事での持ち出しが多かったにしてもひどすぎる。頭の上の方がヒリヒリした。目の前にいた女子高生の人生と、自分を比べずにはいられない。


 女子高生の預金に二度、自分の預金を含めると三度驚いた僕は、その足で喫茶店に赴いていた。平日昼間の喫茶店はメンツが豊かすぎる。
ネットビジネスの勧誘に忙しい八十代のおばあちゃん。見た目がおじいちゃんのおばあちゃんに、見た目がおばあちゃんのおじいちゃんカップル。ビチビチの革パンに豹柄のパーカーを着て太宰を読んでいる若者。どれも見慣れた常連だ。この喫茶店でパーティを組めと言われたら、魔王も腰を抜かす旅団が結成できる。


 隣の二人がけのテーブルに、七十代のおばあちゃんと五十代の男性が腰掛けていた。無線で繋がったイアホン越しに会話が聞こえてくる。途切れ途切れの会話から察するに、おばあちゃんの年金を男性がたかっているようだった。


「なあ、ちゃんと返すから。三枚でええからよ」
男性がしきりに提案する。提案と言っても返済プランなどないので、もはや懇願に近い。おばあちゃんは黙ったままだった。

「ほな一枚でええ。一枚でええから」
無言の返事にしびれを切らした男性が値下げ交渉する。おばあちゃんは面倒になったのか、カバンから封筒を取り出し、無言のまま一万円札を男性に手渡した。

 男性は浮ついた声で「すぐ返すから、ちょっと待っとれよ」と、一万円札をパスポートに向かいのパチンコ屋へ吸い込まれていった。



 横目で見ていた僕に気付いていたのか、おばあちゃんがタバコを吸いながら話しかけてくる。

「ニイちゃん、あんな大人になったらあかんで」


「人にお金を借りるような、ってことですか」

「ちゃう、自分の器以上のお金が必要な時はある」
 右手で持っていたタバコの先を、灰皿が無表情のまま受け止める。

「お金のことを、一枚二枚と枚数で数えるようになったら人間おしまいや」


 彼女は、何を思って、何を心の内にしまいながら、お金を手渡したのだろう。不思議なおばあちゃんだった。あの日以来、あの喫茶店で彼女を見かけることはなかった。もちろん、男性もなかった。



 お金は人を変えるらしい。僕だって、急に数千万が口座に入っていたら変わるだろう。あの女子高生も、預金残高が数万円なら制服のままタバコを吸うだろうか。

 人生が変わる国、インドで働いている友人の「たかがインドに私の人生を変えられてたまるか」というセリフを思い出す。貧乏だろうと金持ちだろうと、心が綺麗な人はいる。ボロは着てても心は錦でいるくらい、プラダ着てても心は錦でいることは難しいのかもしれない。

 今世でお金持ちになることは、作家なんて職業に就いた時点で諦めている。それなら、心くらいは錦を着てやろう。そう思いながらも、一杯五百円のコーヒーで粘りつつ今日も原稿を書いている。


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