沈黙こそが根っこである
*さいきんよくおじゃまする飲み屋でいきなり、流しのミュージシャンがやってきた。5,6曲を歌いさっそうと帰っていったが、夏の終わりにちょうどいい歌声と曲で、お酒のおかげもあってか、気持ち良い時間だったと思う。その中でふと出てきた歌詞に「聴こえない言葉が聴こえるようになりますように」というのがあった。
この話は、くちすっぱく何度も書いているので飽き飽きしている方もいるだろうけど、聴こえない言葉を聴くことのできる人間でありたいなと思ってるんだよね、ぼかぁ。むりしてぜんぶ聴けるようになってやる!とまでは思わないけれど、その部分に心を、耳を傾けることを忘れずにいたいなと、ことあるごとに自分に言い聞かせている。この考えも、吉本隆明さんの「沈黙こそが根っこである」の派生だ。
ぼくたちが自分で思っている以上に、聴こえていない言葉や聴いていない言葉は、たくさんあるんだと思うよ。分かりやすいところでいったら、動物の言葉ってわかんないでしょう?それも、分かんないんだから聴こえていないのとおんなじだよね。ほかにも例えば、手話ってできる?ぼくはできないから、もし手話で話しかけられても、それは聴こえないことと同義なわけだ。
もっと言えばさ、言葉ですべてを伝えられることなんか、まれなんだよ。ぼくも素人に産毛が生えた程度だけれど言葉の仕事をしているからさ、そんなぼくでも難しいと思うんだから、普通はもっと難しいと思うよ。(ということにさせておいてください)言ったことや聴いたことでしか誰かを知りたくないと、心のどこかで思っているんだろうな、おれは。裏を返せば、何を言ったかや何を聴いたかだけで判断されたくないとも思っているのかもしれないねー。
このことは、対他人のみならず、自分自身においても同じことが言えよう。
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